この前。Amazonプライムビデオにマイケルムーア(監督)のシッコ(SICKO)という映画が出てたので、ちらっと見た。ほぼ飛ばし飛ばし。
2007年の映画で(オバマケア前)、アメリカの医療保険制度についての、一応ドキュメンタリーなのかなぁ。最後は911で後遺症を持ってしまった人たちを連れて、キューバに行って医療を受けるという話。
昔見たときは、「へー、そうなんだ」と思ってみた記憶があるけど、今見ると、驚くほどにヒドイ。
私がキューバに居たのは、2014年から2018年。そーんなに変わってないと思う。
薬局や医療の話が、おかしすぎる。全く違う。よくもまぁ、こんな、出鱈目なものを作ったもんだ。で日本のAmazonのレビューの☆多い。だから、昔の私みたいにそれをなんとなく信じちゃった人たち多いのだと思う。
そもそも、もしかしたら、シャレで出鱈目な映画を作ろうと思って作っているのかもしれない。
私は、結局は、自分が見たもの、経験した事しか、あまり信じない。「あまり」というのは、うっかり信じることもあるし、人が言ったことが正しいこともある。
だから、どうしても、知りたい事、納得できない事があったら、飛んで行ったりする。
誰かの経験は、誰かのもので、その人のフィルターが通してある。そのフィルターは、その人の経験や傾向が反映される。
私が見たり、実際に経験したとしてもそれが正しいとは限らない。見た側面、関わった人で偏ってしまうこともある。それを自分のフィルターを通してみて、感じて、考える。で、確実に偏っているのだと思う。
それで偏っていたとしても、他の誰かのフィルターと経験で偏っているものよりよっぽどいい。というか、その誰かのフィルターを通して発せられたことを、今度は自分のフィルターを通して見る。そうすると、感じ方は全く違う。で、それは、偏ったものを、偏った自分が見る、という事になる。
体験するって、自分の五感(6感もあるかもだ)全部がセンサーになる、のかも。でも、本で読んだり、人から聞いたことは、頭で考えて処理をするような気がするの。
私も、まぁまぁときどき本を読む。ひとつの大きな理由は、自分が感じた事や考えた事が纏まらなかったり、これでいいのだろうかと不安な時に、同じような事を考えている人を探したり、答え合わせのような事も多い。
「知識」は、あくまでも、参考にしかしない。
賢者は歴史から学ぶとか、知識から学ぶとか。愚者は経験から学ぶとか。
私は、愚者なのかもだ。
でも、どうしても、やっぱり、「経験」しないと、自分の中に刻み込めない。経験以外は薄っぺらく・・・羽織ったコートとか、付けまつげとかで、自分の一部ではない。
正しかろうが、間違っていようが、勘違いだろうが、自分のフィルターを通して経験して感じて、考えた事しか、自分にとっての「本当」がない。
シッコにレビューを書いている人たちは、あの映画を見て、知った気になって映画や世の中を「評価」しているのかもだけど、あの映画は私が経験したキューバのフィルターから見ると、出鱈目。
キューバに行ったことはとても、沢山のいい経験や気づきをくれました。
その中のひとつは。
キューバに行く前にかなりネットで調べました。でもね、行って自分のフィルターを通してみると全く違ったし、暮らしてみるともっと違った、というか、誰かが言ったことは、その人のフィルターを通ったものだけだから、どうしても偏ってしまうし、共感できることは少ない。
私が感じた事も、共感できない人もいると思う。私も偏っていると思う。
それでいいのだと思う。
その人も、私も、生きてきた環境や人としての性質も違う、経験も違うのだから。
そういば、人は、自分が知りたい情報を探してしまう、だから偏ってしまう、らしい。多分さ、その人も、あの人も、自分も、世の中、殆どみんなそれぞれの事情で偏っているんだと思う。だから結局最後に信じられるのは自分の感覚なんじゃないかと。それがもし間違っていたとしても、間違う事で痛い目に合えれば、改めて考え、その人の見解が広がるんじゃないかと。
とにかく、人がいう事は、鵜呑みにしないほうがいい。
私が書いている事も鵜呑みにしないでね。