神田沙也加さんがお亡くなりになってもうすぐ2か月になります。

ニュースを見たときには何が起こったのか一瞬理解ができませんでした。12月はまだ混乱が整理できてなく、あのようなメルマガになってしまいましたm(__)m。

私たち世代にとっては、松田聖子さんの姿や生き方は、私たちの過ごした時代と共にいつもどこかにあったように思います。

私は俗に言う「中森明菜派」でした。松田聖子さんの存在や生き方は好きではなかったのですが、沙也加さんの姿を見ながら松田聖子さんに対する嫌悪感はなくなっていました。

訃報を知ってから数日後、どうしても頭から離れない事(あるアメリカの大物プロデューサーに言われた事)があり、松田聖子さんのことを知りたいと思い1990年代に話題になった、暴露本と俗に言われていた本を探しました。

1冊目に出版されたジェフ君の本(真実の愛)によると、出会ったのは1990年の2月のニューヨークだそうです。私が初めてニューヨークに行ったのは1989年4月(当時20歳)なので、書かれている場所は私も行っていたレストランなどもありました。地理的な事や距離や時間などおかしいと感じるところは、私にとってはあまりありませんでした。

私の印象としては、俳優志望でニューヨークに出てきてレストランのウェイターをしていたアメリカの田舎の普通の温かい(と言われる)家庭の男の子。誇張したり、格好をつけて書いている部分はあったとしても基本的にはそんなにうそをつくような子じゃないと感じました。本の中に出てくる人たちをネットで検索してみましたが、実際にいます。聖子さんの義理のお姉さんであった「マチコ」さんも、実はその数週間前にたまたま、「オールスター家族対抗歌合戦」という古い番組の動画をうっかり(アルゴリズムで勧められるままに)見ていて、そこにお兄さんのお嫁さんとして出ていた人が町子さんでした。町子さんはジェフ君と聖子さんの関係を知っていたのだと思います。

当時ジェフ君が書いた歌は聖子さんのクレジットになっています。聖子さんからの手紙も本に掲載されていますが、歌の詩を書ける英語力じゃありませんし、歌の出来事は確かにジェフ君との物語のようです。ジェフ君の後のダンサーのクリス君の本でも、彼が書いた歌は聖子さんのクレジットになっているとありました。そういえば・・・英語の歌の作詞が「Seiko Matsuda」となっているのを見て、「聖子ちゃんすごいな」とかうっかり思ったこともありました。でも、書いたのは彼らだったのですね。

他人の著作物を平気で自分の著作物にしてしまう事ができる人たち。20代のころの私にはそういう人がいるというのは想像もできませんが、40代のころにそういうことをする人にも遭い、はらわたが煮えくり返ったことがありましたので、そういう人たちは多分まぁまぁいるのだと思います。その彼女は商売がとても上手で人気(特に女性)もありましたし当時結婚していましたが彼氏もいました。もしかしたら、似た種類かもで、そういう人たちは居るのだと思います。

私がどうしても頭から離れなかった人は「真実の愛」に出ていたので、そういう関係になるまでに時間はかかったとしても、彼(大物プロデューサー)が言ったことは本当かもしれません。

ジェフ君が日本に来ている時には、お兄さん夫婦にはもちろん会っています(一緒に温泉旅行に行ったんだっけか)、神田正輝さんも会っているし、ご両親もあっています。幼かった沙也加さんも会っているし、膝の上などで遊んでいたようです。

ジェフ君が書いたとされる2冊目「心からの愛」は本の中に書かれているように、松田聖子さんとのことより、ジェフ君自身のことが多く、ジェフ君がどんな人なのかが垣間見れます。やっぱり、「俳優志望でニューヨークに出てきてレストランのウェイターをしていたアメリカの田舎の普通の温かい(と言われる)家庭の男の子。誇張したり、格好をつけて書いている部分はあったとしても基本的にはそんなにうそをつくような子じゃない」という印象です。

この本の中にジェフ君がベットミドラー主演の「ステラ」という映画にちょい役で出演している話がありました。実はこの映画、私は大好きだった作品で、アメリカに住んでいたころにビデオまで持っていて何度も見た映画でした。ネットで動画を探して見てみると、確かにジェフ君出演していました。クレジットにも名前が出ています。

ジェフ君、誇張したり、格好をつけることはあると感じますが、それほどうそをつくという印象じゃないんです。

あと、日本のマスコミやテレビ番組に呼ばれて来日した話も、正直ひどい扱いです。気の毒でなりませんが、俳優として大きく成功してない彼は話題やネタとしての「利用」価値はあっても「人」として尊重される存在ではない、という感じの扱いです。

聖子さんの、仕事を含めて近くにいる人たち殆どはジェフ君との関係を知っているようです。
「俳優志望でニューヨークに出てきてレストランのウェイターをしていたアメリカの田舎の普通の温かい(と言われる)家庭の男の子。」にとって、訳がわらかない状況だったのかもしれません。人間不信になったりもするかもです。本で感じる、格好をつけたり、誇張をしている感じは、ジェフ君はかなり自尊心が傷ついたからなのではないかとも思いました。

ベットミドラーの映画にも出ていたジェフ君、彼の名前を検索してもその後俳優として活動してないのか、検索にあたりません。

「Backstage of SEIKO MASTUDA」のクリス君はもともとは東京ディズニーランドのダンサーとして日本にいたそうです。ジェフ君よりは世間を知っていたのかもしれませんがやはりかなり悔しい思いをしたんじゃないかと感じました。当時の動画を探すと、確かに一緒のステージで踊っているし、歌っています。歌の作詞はSeiko Matsudaになっています。

私も以前ありましたが、自分の著作物を知り合いや友人にその人の著作物として使われるって、本当ににはらわた煮えくりかえる。踏みにじられてるという感じがするの。

ちなみに、このころに神田正輝さんと出演しているものもあったのですが、仲睦まじい夫婦を演出しています。私でも人間不信というか、ああいった、存在自体が「商品」で、商売をしている人たちを何も考えずに信じちゃいけないなとつくづく思いました。

数週間前に、坂口良子さんの娘の杏里ちゃんのインタビューを見ました。

色々とお騒がせというか、あれ?と思うことが多い彼女。インタビューの中で子供のころにおばあちゃん(おじいちゃんも)にかなり虐待を受けていたらしいです。大人の頭で考えると、お母さんは仕事やそのほかの付き合いで外に出ている、出る必要がある、出たい、から親に子供を預けている。小ぢんまり暮らして食べていくのであれば、そこまで出ていく必要はあるのかというと、解りません。良子さんが再婚したのはとても嫌だったそうです。インタビューの中でお母さんのことは大好きだといいます。

他人がとやかく言う事ではないし、そのドラマの中で生まれて育って生きていくのは、その人の宿命で、運命なのかもしれません。そのドラマをどう「運んでいく」(運命)か。

他人の生き方、子育て、問題、をとやかく言うのではなく、ただただ、自分の宿命を受け止めて、自分の足で運んでいく。そうでしかないなとか思います。

アンチだった私ですら、沙也加さんの事でかなりいろんなことを考えました。松田聖子さんは私たち世代にとって、時代とともにあった人なんだと、つくづく思いました。