クリスマスシーズンは好きですか?
しょーじきにいって、私は嫌いというか、まぁまぁ苦手です。
若い頃は素敵な感じがする「クリスマスシーズン」にワクワクしましたが、近年は苦手になりました。
クリスマスに一人とか、予定がないって、なんか寂しい感じがしますよね。
でも、クリスチャンでもないので「クリスマスを祝う」理由はあまりない。でも、本当にクリスマスをしたいのなら、イブの夜に教会に行くのがいいと思うし、クリスマスの意味を感じ取れると思います。
私がNYに居た頃はほぼ毎年イブの夜は教会に。私が行っていたプロテスタントの教会のイブの礼拝は零時を回るころにOh Holy Nightという歌をすごくきれいなソプラノが歌うんです。その歌を聴くと、「あ、生まれた」と。
その教会は5番街の55丁目あたりでした。
こんな歌です。
10年程前のホリデーシーズンはニューヨーク滞在していました。ちなみに、クリスマスはキリスト教、ユダヤ教はハヌカ、なのでクリスマスシーズンとは言わないんです。
11月終わりの収穫感謝祭から新年までがホリデーシーズンになるんだと思う。
街も、テレビも、人々もホリデー色。
もう、煽られてる感。でも、多分、今思うと、煽ってるんですよね。年末商戦かかってますからね。
そして、人々はクリスマスショッピングに勤しみ、楽しみ、ワクワクします。クリスマスカードを書きます。クリスマスカードを選ぶのは結構楽しいです。
でも、家族がいない者たち、孤独な人たちにとっては苦しいシーズンになる事も。
さて、人間は、どうも、「絶対的孤独」より「相対的孤独」の方がつらい気がするんです。
これは、貧困でもよく言わるんですが、「絶対的貧困」より「相対的貧困」がつらい。
みんなが貧困だと、結構平気なんですよ。でも、誰かと比べたり、周りより貧困となるとすごくつらくなる。惨めになる。
孤独もそうで、みんなが一人とか、孤独だったら、自分も孤独で結構平気なんだけど、周りがファミリーで集まり、盛り上がっていると、すごくつらいんですよ。よく言われていたのが、アメリカのホリデーシーズンは自殺者が増えるとか、どうとか。
しかし、ほんとに、ニューヨークで「孤独なクリスマス」は結構きついっすね。
さて、今年は、私もクリスマスツリーを飾ってみました。ダイソーで買ってきました。500円。
で、クリスマスソングなんぞ歌ってみました。
ドイツにいるダニエラに届けたかったんです。
だからツリーは赤(ROJO)です(∩´∀`)∩
パパが3月に亡くなり、数か月後に二人の子供を連れてドイツに亡命。親しい家族(姉)はアメリカのマイアミに。
彼女にとって今年のクリスマスシーズンはしんどいんじゃないかと、すごく気になったんです。だから、「この季節にあなたを想ってるよ」って、伝えたいから。
昨晩ダニエラと話をしました。
社会主義のキューバとドイツは違う事も多く、大変だそうです。もともと、お金をどうコントロールして使うかが上手く出来ないのもあり、2週間前からお金もなく、友達から食べ物を分けてもらっているそうです。
大変だけど、「すべてが経験よ」と伝えました。
偉そうとかじゃなく、今辛い事もすべてが経験で、その経験があなたの財産と強さになるし、今辛い事がすべてじゃないんだと伝えたかったんです。その時に、
「ダニエラの家のトイレ。初めて使った時は驚いたわ。どうやって流すの?お水は?紙は?え?でね、次の家はもっとひどかったよね。」
「あの家は最悪だったわ(笑)」
「キッチンにトイレがあるんだもの(笑)。でも、私使ってたよね(笑)。すべてが経験だったわ。」
「でも、あの家では幸せだった。とてもハッピーだった」
絶対的な貧困があったけど、周りも結構みんな貧しい。貧しいけど周りと比べても貧しい人が多いから、惨めな感じがちょっと少ないのかも。
で、多分生まれ育ったその町には、古くからの友達や、親戚の様なご近所さんもいたと思う。そして、なにより、パパが居た。寂しがり屋で子供みたいな面倒くさいパパが居た。でも、パパの愛はとても強いんだよ。
私が今こうやって一人で元気に暮らせているのは私の中にパパの愛があるからなんだよ。
孤独でないという事は幸せになるための必須条件らしい。
私は、孤独に慣れてるし、孤独と上手く付き合う方法を身に着けてる。孤独は嫌いじゃない。
だけど、寂しがり屋のダニエラは、私がクリスマスやニューイヤーイブにキューバで孤独にならないようにと、家に招いてくれた。
蠅が飛ぶテーブルで一緒にご飯食べたり、
子供たちのおしっこが染みついてるベッドで、一緒に寝た。
私もあの家でハッピーだった。
メリークリスマス、ダニエラ。
遠くにいるけど、あなたの事を想っています。
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同窓会のクリスマスカード出来たよ。もう発送したので解禁。