古民家の自給自足っぽい生活をしてると、猫も4匹いると、毎日、あっという間に1日が終わる。
自然や動物と暮らしていると、ただ、そのまま、ありのままに、生きる事が、尊いし、愛しいし、楽しい。
最近、近所の60代後半くらいの奥さんが、菌ちゃん農法やりたいと。私がお分けした、高菜がすごく美味しかったらしい。今お手伝いしてる。
SNSで繋がってる友人の畑も、畝がなんだかかなり高いから、菌ちゃん始めたのかもしれないな。
手を挙げて、旗を上げて、目だったりとか、教えてあげようとしたりしても、人はなかなか始めない。ただ、やっていれば、時間が経てば、始める人が出てくる。自分の中で折り合いをつけて、行動にうつす。それはそれぞれのタイミング。
木や枝、枯れ葉を使い、自然の循環で野菜を作って、それを食べて、自分も自然の循環になる。
そうすると、色んなことに気づく。
猫と暮らしながら、思いやりのようなものが、芽生えるというか、眠ってたのかもね。
そうやって暮らしていると、自分の波動も変わっていく。
ただ、そうやって生きていると、周りの人たちの顔ぶれや関係が変わってくる。波動の合わない人とは、自然と離れる。
私の生き方が、波動が周りの人の生き方や波動を、その人それぞれのタイミングで変えていく。
自分が、そうやって穏やかに暮らしていたら、それだけで、というか、それがライトワークなんじゃないかと。
人にもよると思うけど、何十人、何百人に影響を与える必要はないというか、そうなりたいとか、そういうのは、なんというか、うーん、勘違い。
一人でも、二人でも、私が、私で、そのままで・・・互いに影響しあってる。
多分、宇宙の法則。
ライトワーカーの魂だと言われて、安心して、人々を導く魂と言われて、能力の回路を開くとか言われて、たくさんお金使った人。
宇宙は、完璧なタイミングで、出会いや経験をする機会を、与えるというか、出くわせてくれる。
だから、そういう、出会いも、経験も、その人に必要だったんだと思う。
だけど、本当は、私たちは、私たちの中に、必要なものは全てあるんだと思う。だから、手放すタイミングもあるのかもしれない。
自分の声を聞いて、風や鳥の声を聞いて。
何者にもなる必要はなく、一歩一歩、そのまま、ありのまま生きればいいんだと。
そのうち、魂の声、ハイヤーセルフの声、ガイドたちの声が聞こえてくる。
そうしたら、そういう、買ってきたような、スピリチュアル能力のようなものを手放すんだと思うな。
今、この生活が楽しいよ。
今朝の朝ごはん。
その辺の野いちごで作ったジャム。ヨーグルトメーカーで作ったクリームチーズ。そのホエーで作った蒸しパン。
コーヒーは今も焙煎してるよ。エスプレッソマシンで淹れたカフェラテ。
もうね、ほんとね、幸せよ。