昨日は、号外メルマガを出しました。

で、メール頂いてね、その中で、「自分にどんな使命があって」という部分があったの。

スピリチュアル系の人たちはよく「使命」という言葉を使う。

多分、深く考えないで、スピ系の人たちが、「使命」という言葉をよく使っているので、多くの人が、そういう物〈使命〉があるんだと思っているかもしれない。で、それがある人がライトワーカーみたいな。

上からというか、次元的に。

「使命」なんだけど、使命というのは、誰かから与えられた、命ぜられた任務。軸は別の人や存在。

日本人に多いというか、これがだいたい当たり前というか、8割くらいはそうかもなんだけど、軸が外、他者にある人が多い。

前置きとして、私がここに書いている事は、チャネリングとか、高次からのメッセージとかじゃなく、人間の私の頭で考えた事。

多分だけどね、使命があって生まれてくるのではなく、自分がどうしたいか、で自分で決めて、その時代、その国、その家族、その条件に生まれてくるんだと思う。やりたい事、伝えたい事、経験したい事、学びたい事、やり直したい事、それは、「使命」ではなく、自分の魂の「意志」だと思う。

スピリチュアル系の人たちは「使命」という言葉をよく使う。使命がある事が、良いというか、生まれてきた理由が、自分以外に認められているというか。

多分、そうじゃなくて、自分が決めてる。

自分の外に軸がある人。他人に影響されやすい人。自分を信じられない人。誰かに導いてもらいたい、指導してもらいたい、信じられる誰かが欲しい人は、スピリチュアルリーダーみたいな感じをやってる人に「使命ですね」「お役目ですね」と言われると、たぶん、なんかうれしい。生まれてきた理由と意味があると、感じられるから。

で、多くの場合、高次の存在とか、そういう、自分より「上」みたいな存在からのメッセージだと、信じると、自分は選ばれたような、価値があるからその使命を与えられたような、気持ちになれたりする。かも。

でも、これって、一歩、2歩、さん歩、引いてみてみると、その人の中に軸が無く、そう言ってもらえることで、生まれてきた理由が他者から見てあって、認められたような。で、そういう人は、たぶんだけど、何万円、何十万円、ならまだしも、何百万円もその人のセミナーなど、「学び」やワークに使うポテンシャルがあるかも。そのくらい、認められるって、価値がある、ように感じるのだと思う。

わたしも。自分を信じられない頃は、それは、ある種の使命かもとか、思う事で生きてる意味や、やっている意味を確認みたいな感じになってしまってた。

でも、今、思う事は、誰も命じてないと思う。

私が、やりたい。わたしが、伝えたい。私が、それをしたいと、魂が、そういう、というか・・・。

もし、「私のお役目なんです」的に、使命みたいに思っていたり、人に言ったりしている人がいたら、自分が無い人かもしれない、自分の意志や選択の責任を逃れるとか、深く考えずに使ってるかもしれないし、もしくは意図的にそういう言葉を利用しているかもしれない。もっとやばいのは、あまり良くなさげな存在に繋がって、そう言ってるかもしれない。

 

まじ、「お役目」とかいう人には気を付けた方がいい。

そういえば、スピリチュアルの事とか関連で、「教えている」感がある人にも気を付けた方がいい。先生とか、スクールとか、講習とか。

多分だけど、スピリチュアルな事、精神性とか、哲学とか、まじで、教えられない。

その人が、自分で経験して、感じて、悩んで、傷ついて、考えて、考えて、ろ過されたものが、学びだったりする。それ以外の、特にお金を払って学ぶことは、特にスピリチュアルでは・・・なんというか、勘違いをしているというか、何さまというか、気を付けた方がいいけど、そう言う所に行ったり、お金をいっぱい使ったり、おかしいとか思っても、それを「経験」しないと学べない事もあるし、その「経験」が学びだったりもする。

だから、多分だけど、その人の「経験」という学びの機会を一歩引いて、見守ってあげることが大事なのかもしれない。

 

スピリチュアルで、自分の事を、特別っぽく言う人がいたら、気を付けた方がいい。

けど、おかしかったとしても、それも経験なんだと思う。

「お役目ですね」と言われて、そう信じたいなら、そう信じたらいい。何年もして、おかしいと気づいたら、気付けたら、それは学び(経験)になろうとしていると思う。気づけなくて、そのままこの生が終わっても、それは、この生での経験とか、学びとかになるかも。

他人に言われたり、教えてもらって、学べることじゃないと思うんだ。

 

自分に軸を持ち、自分が、それがお役目というか、妙に強く使命感を感じたとしたら・・・。でもそれは、結局、自分がなんらかの理由でそれをしなくちゃと強く思う魂の過去があるのかもしれない。

それは、誰かが命じた事ではなく、自分がそう思う事で、それは、自分を信じる軸が出来てなかったら、誰かのせいにしたいというか、誰かにそう言われたい。それは、自分自身や、自分の想いに対して、誠実じゃないし、無責任だとも思う。

でもね、こういう人たちが、スピリチュアルや自己啓発ではすごくいいターゲット層になるんじゃないかと思う。

 

使命とかは無くて、自分が軸で、自由意志であって、でも、自分を信じられないと「使命」と言われると、安心できる。

自分が決めて、生まれてきてる、はずです。

だから、深く深く自分と向かい合っていく事がとても大事だと思う。スピ系の人たちは、自分の外に、上とか、遠くとかに行ってしまう事がよくある。それは、自分から目を背けてられて、ちょっと安心できるとも思う。


写真は、全く関係ないけど、8年前の投稿らしい。キューバの、ダニーのパパが作ってくれたご飯。パピーのご飯は心の味がするんだ。パピーの笑顔が浮かぶ。