定期的に、この、豊かさの定義みたいな記事を書く。
私たちは、幸せになりたいというのと同じで、豊かになりたいのだと思う。
で、幸せも、豊かさも、定義が曖昧というか、生きていく上での永遠のテーマみたいになってる。
そういえば、昨日の夜というか、今朝の早朝、昴(プレアデス)食というのがあるというので、朝3時に起きて庭に出て空を見てみた。ネットに書いてあったようだと、月の辺りにプレアデス星群があるらしい。
寒い。
リラが、庭を走る。
14番目の月が明るい。雲の間から、月の光が照らす。
きれいだ。
この家に引越して、2年9ヶ月。
近所の人たちは、「え?あの家に?」と言った。
結構ひどい状態だった。そういえば、前の住人が猫を飼っていて、床間が臭かった。その部屋には入れないくらい。
古い家の木は痩せていくらしく、傾いているし、隙間で向こうが見えるし、窓枠も痩せてて、隙間風がすごかった。言い出したらキリがない。最初の1年は結構泣けた。
今年は、ほとんどの壁を漆喰にし、外からもセメントの上などに漆喰を塗った。セメントは熱を蓄え、冬はとても冷たくなる。漆喰は熱を通さない感じなのよ。で、部屋の中は、空気の感じがすごくいいの。
日本の建築。自然の素材を使い、自然と共に暮らしたんだろうな、日本人たちは。
一つ一つ、住みやすくなり、この家が大好きになった。
庭で採れた野菜は、生きてる。生きたエネルギーを食す。
ふき、筍、野いちごが自生する。
ここは車が入れないし、土砂災害危険区域。周りには廃墟もある。
田舎じゃない。市役所までは徒歩で15分。
こんなに静かで、自然があって、星が見える。
猫たちのとの暮らしも、いろいろな発見や学びをくれる。
一番の発見は、私が猫をこんなに愛しく感じることができるのだと。そして、そばに猫がいると・・・癒されるというか、落ち着く。人間と草木の間くらいの生命体なのかもしれない。
いつも思う、あと何年ここでこうやって暮らせるのだろうかと。
あと何年だろうと、ここでの暮らしは、私の魂にとてもいい影響を与えてくれてる、と、実感する。
困った、ボロい家。
困った、野良猫。
放置された庭、山、自然。
私は、それらから、いろんな経験をもらってる。
「経験」は多分、魂にとっての豊かさなんだと思う。あと、喜怒哀楽ね。
私は、私の魂は、どんどん豊かになっていってる。
豊かさにお金はそんなにいらない。
いや、豊かさの定義はそれぞれかもなので、なんともいえない。
切り捨てていくと、何が自分にとって大切で、自分の感じる豊かさなのか、見えてくるのかもしれない。