令和七年、四月八日。午後九時四十分。

父が旅立ちました。

亡くなる四日前に、親戚から連絡があり父のいた老人ホームを教えてくれました。

「あと何日?」

「三日」

私のガイド・・・私のハイヤーセルフは言いました。

父はもう話すことはできませんでした。

 

姉、弟、妹と4人でシフトを組み、父に寄り添いました。

血圧も下がり、家族に集まるようにと、何度か施設から連絡がありました。

苦しそうにしながらも、父は逝くことができずにいました。

施設の廊下を通ると、桜がまだ咲いていました。

四日目の朝。

弟が、気になることがあると話をしてくれました。

「断縁」という言葉が見えました。

父とご縁のあった方の生霊というのでしょうか。

「塔婆を立てて「断縁」をするよ。その後に、祖父ちゃん、祖母ちゃん、お母さん、それと、曾祖母ちゃんにお供物をあげて、お経をあげて、父さんのこと、お願いするよ。」

「ねぇちゃん、父ちゃんの塔婆もう残ってないかも」

「なかったら、ホームセンターで板を買って来いって。(ガイドが言ってる)」

「今日はお釈迦様の誕生日よ」姉がそう言いながらやってき

 

父の祭壇。

真ん中に大きな大日如来。左に神棚。右に仏壇。その祭壇の下に、父が処分をしていなかった使用済みの使用済みの塔婆が数枚あり、その中にブランクの塔婆が2枚あった。その中に筆ペンも入っていた。

 

二十歳からニューヨークで暮らした私。霊障と言われるようなことは、よくあり、その度に当時まだ高かった国際電話をかけて、父に相談した。

塔婆はないし、父はいないので、紙に書いて、お供えをして、その都度、状況や対象により、お経や祝詞をあげるようにと、父は指示した。

14年前、私が北九州に戻ってしばらく暮らしていた頃に、父は塔婆の書き方を教えてくれた。

 

午後二時半ごろ。準備をしていると、施設からすぐに集まるようにと連絡が入った。

父はなかなか肉体を離れることが出来なかった。弟が「ねえちゃん、最後までやろう。それで死に目に会えなかったら、それでもいいやん。」

私たちは家に戻り、その続きを始めた。

 

先立は弟。

私のガイドは、お経はなんでもいいといった。

慣れない、難しい経をあげるより、空で読める、般若心経を二十一巻あげることにした。

 

祖父が亡くなる夜。

祖父はとても苦しんでた。「来るな!来るな!」と、叫んだ。

「供養するぞ。おにぎりとお茶を持ってこい」

生前、祖父は祖母に冷たく当たることも少なくなかったらしく、祖母の母親が祖父を楽にさせたくなかったと。肉体を離れるということは、肉体の痛みや苦しみから解放されること。だから、「こっち側に来るな!」「来させない」ということだった。

家族でお経をあげ、供養が終わった頃、祖父は静かに眠っていた。それから1時間ほどたった頃、あまりに静かなので「じいちゃん、死んどるんやない?」と、私は言った。父が脈を取ると、祖父は亡くなっていた。

 

心経の最後の三巻の前に、弟がちょっと気になることがあったのかお経を止めた。

その後再開したけど、私がまたお経を止めた。

「最後の三巻は、感謝であげない?よろしくないご縁だったとしても、こうやって塔婆を立てて、経をあげて。祖父の時と同じ。こういう機会を頂けたのは、この人たちのお陰。」

 

それまでは「断ち切る」ためにあげていたけど、感謝であげるとエネルギーが変わり、昇華されていくような感じがした。

祖父ちゃんたちにお経をあげて、父のことをお願いして、施設に戻ったのは午後8時近かった。

 

私は父の手を持った。

私は、体を触ることでエネルギーを読み取る。

目に見えて、父の呼吸が変わっていく。何度も、段階を経て、変わっていく・・・。

そして、静かに、眠るようにフェイドアウトして行った。

父は、肉体を離れた。

弟の息子が九時四十分だと言った。

四月八日。花まつり。

 

翌朝、家の薪ストーブで塔婆を燃やした。

塔婆を燃やすことが、簡単に出来た。

必要なものは、与えられている。揃っている。

 

 

全ての縁や出来事は、良いも悪いもなく、意味のあることなのかもしれない。

一見悪い事も、理解し、感謝にできると、昇華するのかもしれない。

「かも」なのではなく、そうなのだと理解した。

父からの最期のレッスン。

四月八日。花まつり。

 

西行法師は

願わくは
花の下にて
春死なん
その如月の
望月の頃

「願うことには、春の満開の桜の下で死にたいものだ。それも(釈迦が入滅したとされている)陰暦の2月15日の満月の頃に」と歌ったそうです。

父はよき日に旅立ちました。

 

どんなに辛いことも、理不尽なことも。一見良い事も、悪いことも、全てが因果律で成り立ち、それはその個人や家系、魂の経緯で繰り返されたり、引き継がれていく。

父が残した、たくさんの孫や曾孫たちを見ながら。

白石の家は魂の道場なのかもと。ここは結構厳しい。でも、この子達はそれを理解して、みんなここを選んで生まれたんだろう。

 

感情解放は「昇華」のための準備作業。

昇華へ導く為の気付きや学びのためのプログラム。

私は、この仕事を続けようと思う。

続けたいと思う。

 

これからも、みなさん、よろしくお願いします。


筍ご飯と、父が大好きだった石蕗。野花を添えて。

山や自然が好きな人でした。