10日ほど前。
「桃を植えなさい」と、聞こえた。気がした。
そういえば、母の実家は桃農家だったそうだ。私は母方の祖母のことが好きじゃないので、あまり考えないようにしてたと思う。
ネットで調べると、今は植え替えの時期じゃないようだけど、必要なら見つかるだろうな。と、ホームセンターに行った。
3軒目のホームセンターで1本で結実するという白鳳というのを見つけた。
桃の花が咲いて、実がなって、手入れをして・・・。こうやって祖母のことを思い出すんだろうな。
母方の祖母は再婚で、母は実の父親の記憶はなく、同じ両親での姉がいると聞いてた。豊吉さんという人と再婚し、妹と弟が生まれたそうだ。再婚相手が母を可愛がってくれたと言っていた。
そういえば・・・私の甥や姪にあたる人たちで、本当の父親の記憶がないかもしれない子達が、4人から5人いる事に気づいた。
翌日、珍しく、ある友人から着信があった。彼は、横浜に住んでいた頃に知り合ったんだけど、大分に近い福岡の人で、近年そこから比較的近い築上郡というところの古民家を譲り受け、そこに住居を移した。
彼のインスタを見ると、築上郡の築城町というところに最近仕事でよく行っているようだった。
母はこの築城というところで、育った。なんか、偶然だけど、なんか、メッセージかもと。感じた。
とりあえず・・・私が育って、本籍を置いている門司の区役所に行って、父と母の戸籍を調べてみようと思った。築城にも行かなきゃなぁ・・・と思っていたら、「今日行け」って聞こえたような気がした。
門司の区役所で、今は全国の戸籍謄本をどこでも取ることができると知った。
母方の祖母の戸籍を出してもらった。そこには、築城の頃の住所があった。
その日、その友人はまた別の築城町の人たちとの作業があるらしく、一旦そこに行き、その後築上郡の役所に行く事にした。築上郡の役所では、母達が暮らしていた住所の場所を調べてもらった。その古い住所の場所は、その友人の友達の家から歩いて2〜3分のところだった。彼女の家は桃農家。今の下関の古民家に引っ越すとき、その友人はその友達とその息子を連れて手伝ってくれた。桃やお米を分けてもらうこともあり、その家には何度かお邪魔していた。
そのお宅に立ち寄り、母の事、母の旧姓が吉岡だと伝えてみたが、30年ほど前にそこに越してきたらしく、知らないようだった。
母が育った家の周りを歩いてみた。
小さな神社があった。母や叔父や叔母はこの境内で遊んでたのかもしれない。
母達の住所があった場所。今は防衛省が持っているとか。
後で分かったのは、その築城の家は祖母の実家で、吉岡は再婚相手の豊吉さんの姓だった。
その晩、戸籍謄本を眺めていたら・・・その日、今日が祖母の誕生日だと知った。
家で門司の区役所で取得した祖母の戸籍謄本を眺めていたら、いろいろ知りたいことがあり、下関の市役所に行ってみる事にした。
窓口の人に先祖を辿りたいと相談すると、戸籍は何度か作り替えることもあるようで、母方の祖母は再婚の際にまた新しい戸籍になっているらしく、その前の戸籍を出してもらう事にした。そうすると、最初の結婚、私の母の実の父親の住所や本籍が出てきた。祖母と協議離婚をしているということが書かれていた。母にはもう一人兄がいることを知った。
その住所と名前から、その人、私の血の祖父になる善太郎さんの戸籍を出してもらった。
善太郎さんは、大阪の此花というところの人で、彼のお父さんは婿養子として、お母さんの家に入ってきていた。善太郎さんは長男で、男兄弟は一人で、妹が何人かいた。
頭が混乱してきたので、昭和や明治を西暦に換えて、気になるところを書き出してみた。
善太郎さんは祖母より14歳年上で、祖母が離婚した時にはすでに母の妹、豊吉さんのお子がお腹の中にいたようだった。それと、善太郎さんは福岡県のまた違うエリアで56歳で亡くなり、「家屋管理人」が役所への死亡届を出してくださっていた。
多分、孤独死だったんじゃないかと、思う。
卒塔婆を書き、お線香をあげ、手を合わせた・・・。
ひょっとこ踊りのようなものが見えた。その人は、とても陽気な優しい人のような気がした。だけど、寂しさを抱えていたようにも感じた。だけど、陽気で優しいの。ダニーのお父さんみたいに。
私の中には、確実に、この人の血、遺伝子が1/4。
私がこうやって生まれて、いろんなことを経験して生きていることに、善太郎さんに心から感謝をした。
未知だった、私の中の1/4が、私の中で、顕在意識の中で統合した。
私が生まれて育って、生きているのは、当たり前じゃなく、いろいろな物語があって、命が繋がれて、生きながらえてる。
知ることや、経験することは、タイミングがあるのだと思う。
父が亡くなってからというタイミングだったのも、意味があるのだと思う。
多分、善太郎おじいちゃんは、孤独死をした。
私は何も、何も、何も、知らなかった。母もきっと何も知らなかった。
だけど、このお祖父さんがいないと、私の肉体は成立しない。
何をお供えしようか。
いつまで卒塔婆を置いておこうか・・・。
少しずつ、整理しながら。ゆっくり。私にとっても、お祖父ちゃんにとっても、よい供養ができますように。