先日ある方とお話をしていて、
スピリチュアル関連の人やヒーラーさんのブログが
どうも本人と違うという事が多いかも、という話になった。
確かにヒーラーさんはきれいな事を連ねる傾向は大いにある。
でもそれで救われる人もいるかもしれないし、
それでもっと解らなくなってくる人もいるんだと思う。
私は常日頃からあまりきれい事を言わないようにはしています。
どちらかと言うと、言葉も態度もきれいな方じゃありません。
でも、それが私にとって自分らしさを保つバランスをとっているのだと思うの。
昔ね、
音楽でアメリカの老人ホーム3500件に歌を送ったの。
私は、私。
何も変わらない。
言葉も態度もあまり良くない私でした。
でも、ね
新聞や雑誌に取り上げられるに従って
「いい人像」が出来はじめた。
私はいい人にならなくちゃいけなくなったの。
自分が歌いたい歌がアメリカの老人ホームでなら受け入れられると思ったから
私の都合と勝手でやったプロジェクトだったのに
世間は私をちょっと立派な若者にしちゃったの。
私も若かったから始めはよく解らなかったけど
本当の私じゃない私が一人歩きしてきて
私が居なくなってきた。
いい子でいようと努力もしたけど、
その反面、髪を明るく染めて、講演の依頼があったときもミニスカートをはいて
よく場違いな格好をして挑んでた。
自分の中で色々な戦いが起こりだした。
自分とのバランスを無くさないように必死だった。
でも自分が解らなくなった。
そんな経験から
いい人ぶるのは苦しくなるからあまりしないようになった。
今の仕事柄
いい人だとは思われやすい。
多分、悪い人じゃない。
でも、虚像を作ってもらいたくないから
このまま、不器用な自分を出来るだけ表に出そうと思う。
私が得意としているのは感情の解放。
人は、沢山のネガティブな経験やネガティブな思いを
心の中に封印している。
それを開けるとき、
きれいな所では開けられないのかもしれない。
だらかいつでも、汚れていたいし、
クライアントに対してはどんな事もOKだよって言ってあげたい。
自分が解らなくなる前に
どこかで思いや感情は出しておいた方がいいとも思う。
そして自分の心には正直でいてください。