明けましておめでとうございます。
今年はどんな年になるのでしょう。多分、ローズ的に、いろんな事が加速されそうで、年始早々、ちょっとビビっているSeinaです。

何をビビっているのかというと、新年早々、すごく強力な応援をアメリカの1940年代50年代のスターのモニカルイスさん(今90歳)に頂いたの。朝鮮戦争の退役軍人の方々の強力なサポートも頂いていて、ぼやっとしてられない2013年かもしれません。

去年暮れ、ある、友人と話してて、「認められるといいね」と、彼が言ったの。

昔の私は、認められる為にもがんばった。沢山沢山否定をされて育ってきたから自分の価値が解らなかった。その価値を教えてくれるのや保たせてくれるのが「人」だった。

いつからだろう・・・はっきり言えるのは、ローズを使いだして暫くして。暫くって、半年、もっとかな、1年位かな。私は人から認められる事に意味をあまり見出さなくなったの。時としてそれは、人から相手にされないから拗ねてるようにも見えるのかもしれないけど、人がどう思おうと、私は私のやり方で生きようと、いつの間にか思うようになったの。

歌手として仕事をしない私を「甘えてる」とか「どうして歌わないの?」と言う人もいた。
でも、私はある時から「本当に歌いたいものしか歌わない」と決めた。歌手と言いながら、アロマを売っている私を「二足のわらじで、歌手としての本気度が足りない」とも言われた事もある。でも私のやり方は「アロマを売って、歌では一切こびない」と、決めた。理解されにくい。でも自分が大事にしたいものとそのやり方は人から理解される必要はないと思ったの。「人」がその人の測りで私を「認める」必要はないと。

と、書きながら、私は誰の事も認めてないし、否定もしない。私の基準は、「好き」か、「嫌い」。共感も、反感も、「好き」か「嫌い」。なのかもしれない。

誰からも認められなくてもいい。
私の事が、「好き」なら、私は嬉しい。
それだけでいいの。

嫌いだったり、共感できないんだったら、無理に合わせてくれなくてもいい。
世の中に認められる必要もない。
私は、私が好きで、自分の生き方や考えを、自分だけが認めていればいいんだと思うの。

自分が認めていれば、それで完結する気がするの。
自分が認めない限り、終わりがない、というか。

2012年、私は沢山の事から離れたと思う。いろんな繋がりを、外した。そうしたら私は孤立したり孤独になるのかもしれないとも思った。でも、そんな私が好きだと言ってくれた人たちがいっぱいいた。
彼女たちは私を認めてくれてるのか?
多分、好きなだけだと思う。

「認める」という事には、ある種の「ジャッジ」感がある気がするの。
私は認められなくていいの。
でも、私の歌や、生き方を、好きでいてくれたら嬉しい。
シンプルに好きか嫌いか、苦手か、でいいの。

半年後、1年後には新しい発見をして考えてる事も変わってるかもしれない。
2013年、はじめ、こんな私ですღ˘◡˘ற♡.。oO

今年もどうぞよろしくお願いいたします。