スピリチュアルは宗教じゃない、という人は、多い。
どうだろう。
どう思いますか。

スピリチュアル系をやっている人?は、多くが「宗教じゃない。信仰」と言い、スピリチュアル系や新興宗教を毛嫌いしている人や信仰がない人は、「あれ、一種の宗教でしょ」と。そんな感じのケース多い気がする。

別に、スピ系だろうが、ネットワークビジネスだろうが、自己啓発だろうが、アーティストを追う人だろうが、スティーブジョブズだろうが、他者の力やエネルギー、考え、言っている事、やっている事、とか、その「人」に盲信的な場合、宗教っぽいな、と、私は感じる。新興宗教の一種かなというか。。。

ま、私自身が、そういった、複雑な家庭環境で育ち、独裁者兼教祖みたいな父のもとで育った。私は家族の中で異端児だったと思う。だから真剣にスピリチュアルや精神世界は本当なのか?という事に、長い歳月と、エネルギーを注げたんだと思う。←父がやっている訳で、家族みんながやっているんだもの。逃げ場はないわよ。

父に助けられた、という人も結構いた。
その人たちは父を、先生、と呼び、私たちは彼らを信者さんと呼んでいた。

これは、何なんだろう?

宗教と信仰の違いとか、そういった疑問がいっぱいで、とりあえず、インドに行ったのは、30歳の時。
34歳位の時に、江原さんをテレビで見たとき、死んだ人とどう話し合うか、どう納得させるか。まともな事言ってると思った。問題は、それが、ブームになってしまって大切な何かが抜け落ちて行ったというか。

瀧に打たれたり、荒行するのは、自分が強くなくては、引っ張られたり、乗っ取られたり、とか。例えば、生きている人の世界でも、麻薬中毒者、自殺願望の強い人、狂気に満ちた人、嫉妬深い人、暴力的な人、と関わりたいか?そういう人たちというのは、ある意味、心にすんごい苦しみを抱えて、そうなった人が多いと思うの。一般人は、わざわざ、そんな人と関わりたくないでしょ。死んだ人が、どうしてそこに残って成仏できていないかというと、想いが残っているからだとおもう。その想いや苦しみは大小様々だけど、苦しみが多人は狂気になる可能性もある。そういう人たちを納得させる為に、その人(死者)と向かい合ったり。そういうのに、自分が強くないと、大変なことになるの。その為のトレーニングの一つが荒行なんじゃないかなと思う。

私も、やばい目には、昔よくあってた。
どうして、そういう目に逢うかというか、お節介だったり、お人よしだったんだと思う。自分が弱かったから、すぐ付け込まれるっ。で、憑依とか起こる訳。

でも、ある時期から、殆どなくなった。
自分が変わったし、自分に関係ない事に関わらない事にしたから。

それは、生きている人も同じ。
変な人や、自分に関係ない問題を持ってくる人とは、仕事と個人的事情以外では関わらない様にしたら、殆どなくなった。

生きている人も、死んでる人も、人の「感情」が鍵というか。
私が感情の事を選んだ理由はいっぱいあるんだけど、その一つが、生きている間に少しでも悔いのない、後悔のない、人を怨まない、自分を蔑まない、自分の周りに起こる事に自分が責任を持つ生き方をする事がとても大事だと思ったの。

視えるようになりたいとか、感じるようになりたいとか、人の役に立ちたいとか、人を救いたいとか、甘い事じゃないと思うの。

で、それは、殆ど目に見えないから、だまされる事も多い。
で、それが、変に商売になる。で、それは、目に見えないから、ひとくくりにされる。例えば、ウチは合法ドラッグですよ~、ナチュラルなので体に悪くないんです。と言っても、飛べるモノは飛べる。その境が曖昧だったり、使い方でどうにでもなるのかもしれないけど。スピリチュアルも、それが、何なのか、新興宗教なのか、哲学なのか、単なる商売か、分かりにくい気がするの。

ちなみに、今の私の家は、人がよく死んだ家。
ルームメイトの両親も、ここに住んでいた彼の友人も、亡くなった。ビル自体よく自殺があったらしい。だから、ちょっとどうなるかな、って思っていたけど、結構いい距離と関係で暮らしていると思う。自分でも驚いてる。自分が人や死んだ人との付き合い方や関わり方を変えたというか。

宇宙や高次元系のスピリチュアルの事は、次につづきます