先日、
「Seinaさん、もっと愛って言葉使ったら?」みたいなことを言われた。
彼女曰く、「愛」という言葉を使った方がビジネス的にいいらしいと。
「愛」という言葉は氾濫してる。特に私の仕事のフィールドや隣接するスピ業界では。
でも、その「愛」という言葉を使っている人たちが愛にあふれているか、愛情深いか、というと、解らない。「愛」への憧れや思い込みもあると思う。
私も、愛への憧れや、思い込みがあったと思う。
その彼女と話をしていくうちに、「愛」という言葉の「利用」も多い現実を知った。おおおお!私もおぼこいわな~w。
そもそも、愛って、なんじゃろっ。
そして、いつものごとし、布団の中でずっとかんがえる。
今日、布団の中で思ったのは、
嘘が無く、誠意がある事。(愛ある嘘も時にはある)
相手からの見返りを求めず、その人の幸せを心から思える。
己を無の状態で、人を計らず、ありのままを受け入れる。
で、例えば、自然の摂理や、原理や、営みやサイクル、恵み、って、やっぱり愛、かも、とか。で、ありのままを受け入れ、ありのままを歓び感謝できることが、、愛かもとか。
私が、クリスタライズの仕事をしていて、それが愛だという人は時々いるけど、私は、これは、愛だとは思ってない。お金という見返りを私は必要とする。これはビジネスである。結果、愛を感じてくださるお客様がいたとしても、私の口から愛という言葉を使う事は殆どないと思う。ないように気を付けてる。それは、感じてくださることであり、私が決める事ではないと思うの。
言葉では何とでもいえる。
そして、私は、聖人君子じゃないし、バリバリの人間。私が布団の中で考えた、本日付のとりあえずの愛の定義も、私に出来ているのかというと、せいぜい、よく出来て、60点だろう。
ちなみに、聖書の中の愛の定義はこんな感じ。
愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない、不作法をしない。自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。不義を喜ばないで真理を喜ぶ。そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。
中学生の頃から、愛って何だろっ、って、思うと、とりあえず、聖書の言葉を参考に、人々の愛を計ってた。で、これ、違うじゃんっ、って思ったり。今思う事は、これはキリスト教の中での指針や理想なんじゃないかなとか。
私の今日付けの愛の定義にしても、聖書の定義にしても、氾濫している「愛」との相違点は多い気がする。
日本語の、「愛」と、英語の「LOVE」は、同じなのだろうか。
母国語じゃないと、案外LOVEもFUCKも言いやすい。
外国語としてのLOVEと母国語の人のLOVEはなかなか合致しにくいというか、理解しにくい気もする。
昔むかしの彼氏が、I LOVE YOUとは私に言わなかった。
I like you ⇒ I like you very much ⇒ I think I love you
別れる時に、I can’t love youと言われた。
私は、I understand very wellと答えた。
とても誠実な人だと思った。
今でも彼は私の大切な友達として、親戚のお兄ちゃんみたいな感じかな。
過去に、私が愛した人は居るんだろうか。
多分、レナードガスキンという亡くなったベーシストの黒人のおじいちゃんだと思う。
私は、何の見返りも彼に期待しなかったと思う。
彼は、私に何の見返りも期待しなかったと思う。
彼は、私にとって、生まれて初めての、そのままの私をそのままで見ていてくれた人で、英語が下手でうまく伝えられない私に対して、きちんと耳を傾け、私に対していつも真摯で、誠実だった。言葉がうまくできない私に誤魔化すこともなかった。私は彼の前で幼子の様に安心してたと思う。そしていたずら好きな私の冗談に、大きな声で笑っていた。
ありのままの私を、そのまま受け入れ、真摯で誠実だった彼と私の間には、人としての「愛」があったと思う。私がそういう人だったのではなくて、彼が態度で教えてくれた事で、私が彼にとって特別でそう接してくれたのではなく、彼は多くの他の人に対してもそうだったのだとおもう。
明らかに、英語の語彙が少なく、言葉が下手だった私。言葉があるからこそ複雑になったり、それをいかに巧みに使うかで誤魔化しが出来たりすることも多いと思う。
言葉は魔法だと思う。
魔・法。
私は「愛」という魅力的な言葉の魔法は使いたくない。
私は、
「愛」という言葉を安売りする人を信用しない。
「愛」という言葉に憧れを持つ人を出来るだけ温かく見守る。
「愛」という思い込みを持っている人を冷ややかに見る時もある。
「愛」という言葉を利用する人たちの仲間にはなるべくなりたくない。
そんな私も、時々「愛」という言葉に、癒される。
だから、これからも、クリスタライズは、出来るだけ、ありのままの、自分勝手でガチャガチャな部分の私をも、そのまま、飾らず、見せて行きたいと思う。
飾らず、ありのままの姿や弱さやずるさまでも、正直に私にさらけ出してくれるお客様を大切にしていきたい。