ニューヨークに来て、2週間ちょっと。
ちょっと風邪ひいた。
旅をしていて、気候が変わると、10日目~2週間ほどして風邪をひく。
キューバからマイアミに入った時、
マイアミの知人を訪ねるためにバスに乗った。
2時間以上かけてバスを乗り継いて彼女の家に行った。
2度目に訪ねた時、彼女の息子が車で送ってくれた。30分でホテルに戻れた。
公共交通機関の不便さを痛感した。
アメリカでは、よほどの都市ではない限り、車が無いと生活が出来ないのかもしれない。
きっと車とエネルギー(石油)が売りたいんだと勝手に解釈した。
日本での暮らしで私は車を持っていない。
車が無くても暮らせるように暮らしている。
2011年に引っ越した私の住むそんな町も、今では街の商店街は少し閑散としている。車で行ける商業施設が増えたせいかもしれない。
ニューヨークに来て、別にどこに行くわけでもない。
何を見ても生活に必要な物以外欲しいとは思わない。
人が集まる場所にあまり行こうとも思わない。
バーで飲むお酒は安くないし、レストランを楽しむお金はそんなにない。どうしても食べたいものが無い限り、アメリカのレストランのサービスや空気もあまり好きじゃない。若い時に、思う存分そういう場所に行ったからもうどうでもいいのかもしれない。
アメリカのレストランのチップ制というモノが、今の私にはあまりいいものだとは思えなくなった。
以前は私もレストランで働いて、チップを糧に生きていた。
その笑顔やサービスは心からのものか、
お金を得るためのものか。
アメリカにも住み、日本とアメリカしか知らなかった私は、その事にあまり疑問も持たずに当たり前のことのように受け取ってた。
原始的な精神性的に未開発なシステムな気がする。
音楽の世界でも、
それが、ビジネスなのか。ステータスなのか。
その人の喜びなのか。
時々彼らが商品や芸者に見えてしまう。
とはいえ、お金が無いと生きて行けない。
この街、ニューヨークでは顕著だとおもう。
情報に溢れ、情報に追われ、情報を追い。
モノに溢れ、モノの情報に追われ、モノを追い。
資本主義の世界で色んなことを考える。
今日、キューバの友人からメールが来た。
貧しくて、何もない家で、私達はタバコを何本も吸いながら、互いの英語とスペイン語を駆使して色んな事を話した気がする。私からのEmailを見るために、幼い息子を抱えて1時間以上かけて彼女の友人の家に行ったんだと思う。
彼女の私への信頼と愛情を感じたつたない英語とスペイン語の混じったメールを読んだら、涙が出た。
旅に出る為にはお金がいる。
だからお金は必要だと思う。
そのお金で何を買うのか。
彼女とその家族との出会いは、お金で買えない、でも、お金が無いと買えない出会いと経験だったと思う。