今日、久しぶりに、慰安婦問題の動画を見た。
私が太平洋戦争時の捕虜の事から離れるきっかけのひとつに、日本側で元捕虜のサポートをしていた人とちょっとした軽い口論があった事も関係あると思います。
元捕虜の活動と元慰安婦の活動をサポートしていた彼女は、「当時の日本政府がそんなひどい事をしていて赦せるの!?」と。
私は、「自分がそれを見た訳でもないし、それが本当か本当じゃないかも解らないし」
「本当にあったの!赦せるの?」
私には関係のない問題だと思った。
当時の日本政府がなにをしていたとしても、それを赦すも赦さないも、私にはどうでもいい事だった。
そういうトピックじゃなくても、私にとって、赦すとか、赦さないとか、どうでもいい事だった。「赦す」とは、誰のどんな権限で、何さまなんだろうとか。思う。
それより、互いの事情を深く知って行く事の方が私はいいと思ってる。多方面からの事情を知る事で赦すのではなく、理解が出来る気がする。理解が出来たら、手放せる。(←これは感情解放で気付いたテクニックでもあります)
元捕虜の活動や、大戦時の事に関わっていく内に、「謝罪」というモノがどういう意味を持つのか、私なりに独自の解釈を持つようになった。
謝罪をさせる事で、自分の正当性や、正義、正しさを認めさせるのではないかと。
それは、日本の文化や考え方ではちょっとがっつりとして理解がしにくい、でも西洋のルールがまかり通りやすい国際社会や、キリスト教的なバックグランドを持っている人たちにとって、善と悪、正義と悪を決める事は大事な事なきがしたの。
韓国が、日本に慰安婦問題をずっと言い続ける事は、今の韓国のひとつの国策だろう、とも思ってる。
で、韓国には「恨」という文化があるらしい。
人を恨むには、多大なエネルギーがいる。
十数年前、両親を恨んで何年も暮らしてみた。
私はボロボロだった。
キューバで、友人のパパと色んな話をした。
「パールハーバーについてどう思うか?」
私は、「パールハーバーの襲撃は事前にアメリカ側に伝えられていたはず。」
「私も、そう思ってる。以前私は本で読んだ」と、パパは言った。
あれは、経済封鎖された日本がアメリカに数度にわたり交渉を続けたにも拘らず、それを却下し日本にとってかなり不利な事を叩き付け、致し方なく戦争に入ったのではないか。パールハーバー、パールハーバー、と今も言われるが、少なくとも日本は市街地を空爆してない。他の戦地を見ても私の知る限り、軍の施設の空爆をしていても、一般市民の住む市街地の空爆はあったのか、、、
私はそう続けた。
「ヒロシマ(原爆)の事はどう思うか?」
「私はいつも思う。どうして2種類(ウランとプルトニウム)の原爆を落とさなくてはいけなかったのか。2種類の原爆を日本の市街地に落とす必要があったのか。でも、ルーズベルト大統領の時代に多分多大なお金を使ってマンハッタン計画(原爆を作るプロジェクト)をやって、原爆が出来て、ルーズベルトが死んで、副大統領だったトルーマンが大統領職を引き継ぎ、立場上トルーマン大統領にNOという選択肢はあったのだろうか。あれはマンハッタン計画の実験の延長なんじゃないかと思う。ヒロシマやナガサキの人たちは本当に大変だったと思う。被爆者やその遺族は大変だと思う。いろんな感情を持っていると思う。でも、日本人は「恨み」を持たない人種なの。」
と、言った。
日本人は恨みを持たない、訳ではないと思う。
でも、少なくとも私は恨みを持たない、もしくは持ちにくい人間なんだと思う。
私は、日本の裏側のキューバで「日本人は恨みを持たない人種」だと、きっぱり言った。
友達のパパは。
「私達は、プラヤヒロン(日本やアメリカではピッグス湾事件)を決して忘れない。忘れる事はないだろう。だけど、私達キューバ人も「恨み」を持たない人種なんだ」
パパはプラヤヒロンでキューバ側の兵士として参加した。
自分の国に誇りをもつ私達は、その時、親友になった気がした。
プラヤヒロンを超簡単に言うと、キューバ革命後にアメリカに亡命したキューバ人を集めてアメリカの支援の元軍隊を作り、1961年にキューバに侵攻したの。私はこれが、どうもこうも気になっていたの。なんで、こんな卑怯な事をアメリカはするんだろう、って。
キューバ革命で殺し合いがあったとしても、アメリカがキューバ人に同胞を殺し合わせるようなシステムを作って随行した事にどうにもちょっとかなり、ひっかかっていたの。
私がキューバを離れて、マイアミに入ったのは、5月24日。
5月25日のメモリアルデイ(戦没者の日)にマイアミにあるピッグス湾での戦没者の碑に行く為だったの。
疲れてて、午後遅くに、その碑にたどり着いた。
お花も何もなかった。
近所の人に聞いても、今日は何も行われてないという事だった。
プラヤヒロンへの侵攻はアメリカにとっては戦争として認められてないのだろうか。
私の認識不足で何とも言えない。
パパが言う。
「キューバに来てみたらわかる。こんなに平和で安全なこの国がテロの国か。テロ支援国家か。」
もし、私の国、日本が、あの戦争の事でこれからも謝罪と反省を続けなくてはいけないのであれば、アメリカは日本は勿論いろんな国に対して沢山の謝罪をする必要があると思う。でも、謝罪は正義と悪を決める審判の様になるから、権力と威厳と体裁の為にアメリカは謝罪をする事はないと思う。
国際社会で不利な立場に置かれることも多いが、個人的な感情面ではそれでいいんじゃないかと思う。
それぞれに、事情があるのだから。
歴史が長く、特に、精神文化を育ててきた日本の国民として、私は独自にこういう風にこの国や世界を見ている。
互いの非を認めて、互いを理解し合う国際関係はまだまだ難しい事だと思う。