昔書いたけど、私は「愛する」と言う事がよく解らない。
それでも、それって、生きていく上ですごく大事なテーマだと思う。
この前読んだエーリッヒ・フロムの「愛するということ」。ここにはいろんなアイデアがあった。
エーリッヒ・フロムという人はユダヤ人で、1900年にドイツで生まれ、1933年にアメリカに渡り、1956年にこの本を書いているの。この本の中に私が立ち止まってしまった事を説明できるような箇所が沢山あったの。資本主義がもたらす社会や価値観の構築とかそういう事とかも。
この著書で最終的に書かれている事は、「信じること」。
自分を信じ、他者を信じる。
他者の可能性を信じる。
信念と勇気。
そんな感じ。
とにかく、私の言葉じゃ説明難しいし、この本は結構面白いので興味のある人は読んでみて。
でも、問題は、自分や他人を信じる強さを持っているか。
感情解放プログラムのレポートのやり取りをしていて、よく思うのが、「愛されたい」「理解されたい」という心理がよくある気がする。
それは私も昔はすごくあったと思うし、今も無くなったとは思わない。最近、ふと思い出した事があって、私が人生で出会った人で今でもその人を思い出すと涙が出る人がいるの。それは悲しいからん涙が出るんじゃなくて、何かが私のハートの奥にしっかり届いたからだと思うの。
で、どうしてその人が私にとって、今でも思い出すと涙が出るくらい大事なのかと考えたら、彼は私を否定もせず、ジャッジもせず、そのままの私をそのまま受け止め扱ってくれたの。自分の考えや意見をきちんと言う事もさせられた。それは「尊重」だったと思う。で、それはひとつの「愛」の形なんじゃないかと。その人の中の愛の種を成長させるためにとても大切な要素なんじゃないかと。
子供の頃から、家庭で否定されまくって育った私にとっては、私はダメな存在だったのね。やること、言うこと、色んな事が否定される。もちろん、両親も若かったし仕方ないとは思うけど、それでも、自分がダメな存在だと思い込んでいると、自分が存在している事すら否定的になってしまう。そうなってしまうと自分を信じるなんてかなり難しい。そうなると、他人を信じる事も難しい。信じる事が出来たつもりでもそれは条件付きだったり、依存になったり。
幼少時にここが埋められてないと、その後の人生かなりきついと思う。
で、そういう場合、健全な愛情関係をパートナーや友人と築くのが難しいんじゃないかと。
でも、そういう人は、そういう人で類は友を呼ぶからいいのかもしれないけど、結局不健全に傷つけあったり、裏切られた気になったり。未成熟な関係と言うか。で、じゃぁ、どうしたらいいのかって、自分が変わるしかないと思うの。じゃぁ、どうしたら変われるのかと言うと、もうそれで構築された自分を変える事は結構難しくって、いろんな経験をして何度も壊れて、自分で考えて。でも、それにもある程度の限界があって、そのままの自分を受け入れてもらう経験があった方がいいとは思う。けど、そういう出会いもなかなか無かったりもするかも。
そう言った事にまずは気付いていないと、何時まで経っても大人になれないんじゃないかとか。
で、そういう自分の状況をちゃんと認識しておくことがとても大事な気がする。
解ってもらいたい。
と言う事は、実はそのままの自分を受け入れてもらいたい、と言うことなんじゃないかな。とか。
だって、自分にすら解らない自分を他人が理解出来るわけがないというか、自分で解ってないから、結局はその時の自分の思う自分でしかない。
で、そのままの自分を受け入れてもらいたいと思う愛情関係って、幼稚な気がしない?
だから、結局、未成熟な子供って事になる。
で、そこがある程度成熟しないと、フロムが言うところの愛の形を作る事って難しい気がするの。
言葉って、何でも言える。
経験することと考える事はとっても大事だと思うの。
私は、この仕事をしていて、一番願う事は、お母さんたちが自分の心に耳を傾け、自分を知り、自分を大事にして、自分を受け入れる事。そうできるようになった時に、子供の心に耳を傾け、その子を尊重して、受け入れてあげられるようになるんじゃないかな、って思うの。子供にとって家族はその人の人格形成の上で最も大事な社会だと思う。そこで形成された物を私たちは気付かぬうちに身につけて生きていく。その身近な社会をどうゆう社会にしてあげるかでその子が認識していく社会の色彩の色を決めていくというか。
まずは、その人自身、本人が本人に目を向ける事が大事でそこからしか何も変わらない。
私も未熟ですよ☆
加山雄三さんも、「あいす~ることは~、しんじ~ることさ~」とうたってるっ。
1分41秒~
けど、なんかきもい。