「喜怒哀楽が激しい」という表現がある。

私は元々から喜怒哀楽は激しいとは思う。だから自分の感情に振り回されて、特に、「怒」と「哀」は大変だった。でも、今は振り回されるほどではなくなったと思う。振り回されれないけど、「怒」や「哀」はある。

「怒」や「哀」は面倒な感情という気もするけど、「喜」と「楽」はいいよね☆彡

「怒」や「哀」を感じないで、「喜」と「楽」だけ感じて生きるって事は可能なのか?無理な気がする。どちらの感情も、「感情センサー」みたいなのが開いていると起こってしまう。

「喜」と「楽」をいっぱい感じたかったら、「怒」や「哀」もいっぱい感じると思う。

「怒」や「哀」もしっかり感じて、味わった方が人生は楽しいと思う。濃いというか、色彩豊かというか。

 

怒る事はいけないのか?

我慢してためていたら、爆発する時は怖い。

だから怒る時は怒った方がいいと思う。

 

哀しい時は、泣けばいいし、悲しみを味わえばいい。でも、自分が価値が無いとか、自己否定感が強いと、哀しみのブラックホールにはまると危ない。

泣いたり、笑ったり、悪態をついたりもするけど、それらは感情と連携していて、生きている中での色彩というか。

 

で、この喜怒哀楽を色んな方向からサポートしたり、刺激(←私を怒らせたり)したりしてくれるのが、「人」だったりする。

で、友達とかが、私の事なのに、私より悲しんでたり、私より怒っていたり、私より喜んでたりとかしたりしてて、「あ、私、この人にとって大事な人なんだ」とか気づいたり。

 

自分のバランスがとれて来たら、この「喜怒哀楽」というのが楽しい。

生きてるって感じよ。

折角生きてるんだから、感情は味わい尽くそうよ。

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私、最近気づいたんですが、みそ味のラーメンって好みじゃないみたいなの。色々何度も食べてみたのですが、どうも好みじゃないみたいなんです。