昨日のLIMPIAの記事の後、FBでコメントがあったの。

家にも自分にも霊がついている。らしい。

 

それはLIMPIAでどうにかなるか。

ケースバイケースだと思う。

 

私が、結局、感情解放に行きついて、「感情解放」「感情解放」と、10年近く言い続けられるのは、私にとってはそこがまず一番手を付けやすい、大事な部分だと感じているから。

前世や先祖の問題は自分では見えないから、相手も言われるがまま、そう思い込んだり信じるしかないでしょ。でも今世の事はあの手この手で引っ張り出せば本人が確認もできるし、思い出す。納得させやすい。

私自身が、スピリチュアルな家に育ち、父が得意としていたのは先祖供養、前世供養、無縁さんの供養とか、祓う事だと思う。

 

そういうのを、ずーっと見て来て、自分も怖い目や痛い目にも遭い、自分の家族が別に幸せにもならず、どんどんぐちゃぐちゃになっていくのを見て、悩み、苦しみ、色んな事を考え、たどり着いたのが、今世の感情の問題への取り組みだったの。

父がやっていた供養を見ながら私なりに感じたのは、前世や先祖、亡くなった誰かの想念。怨念。想い。を、どう説得するかじゃないかと。

そういった、想念や怨念というか。解決しない想いが、肉体が死んでも納得や解決せずに想いが残っているんだと思うの。

そういう人達(霊)を説得する。説得して上がってもらう。上がらせる。

言い換えれば、人を説得する力の無い人は上手く折り合いついて、納得してあがってもらえないかもとも思う。

 

例えば、力づくと言うか、怖い父親とか、権威のある父親とか、怒ると怖いから逆らえず仕方なく納得して(たつもり)いう事を聞く事もあるよね。私の父はそういうやり方で上げていた。

 

生きてる人も、死んでる人も似たようなもんだと思うんだけど、反発する人もいるし、納得しない人もいるし、ダダをこねると言うか、いい加減にしてくれよ、という人(霊)もいる。どう納得させるか。どう折り合い付けさせるか。

どうしてそうやって想念を残しているのか、って、多くの場合は何かに対する執着ともいえるのかもしれない。

 

私は霊が見えるタイプじゃなくて、感じたり、言葉が落ちてきたりするタイプ。

見えないけど、霊も人も当たり前に結構近いレベルで、生きている、という感覚で私は生きている。

人間と一緒で、めんどくさい霊とか想念も色々あるので、今は興味とか持たず、気にも留めない。気に留めないと、完全無視していると、余程じゃない限りしつこく話しかけてこないでしょ、人間も。

 

想いを残した霊や時代(前世)を見ながら、

「あ、これは、結局、先祖とか前世とか、死んだ人とか、無縁さんとかの感情の問題だな」と思ったの。

 

じゃぁ、まずは、現実に生きて来た「今世」の感情を整理させる事が大事なんじゃないかと。

今世において感情の整理や解放がある程度出来ていたら、それを死んだ後や、輪廻転生があるのなら来世に持ち越さないんじゃないかと。

 

前世とか、先祖とか言う前に、まず、自分の今の世に目を向けることが大事なんじゃないかと。

 

「じいちゃんが残したものを整理したり掃除しなくちゃ」

という事より、まずは自分の部屋、自分の家を整理したり掃除するという感じかな。自分の部屋や家にものがいっぱいあったら、じいちゃんの残したものを整理しても、置く所ないでしょ。というか、自分の家の整理が出来ない人が人の家の整理を出来るのか。

 

人が困っているから助けてあげなくちゃ。助けてあげたい。

という事より、自分が問題山済みという事に気づき、自分の問題に向かい合う事が先決じゃないかと。

 

他人の問題に目を向けていると、自分の問題から目をそらせる事もよくある。

自分より困っている人を見て安心するという心理もないとは言えない。

 

自分を犠牲にしたり、誰かの為にというのもいいと思う。でも、本当にかなり精神的に強くないと自分を犠牲にしたり、誰かの為というやり方に無理が来てバランスを崩す。

 

私が最も嫌いなタイプは、とてもいい人っぽく、親切に接してくれてたのに、ある日何かが溜まって堤防が壊れたみたいに、我慢していたとか、色々いってくる人。

いい人って思われたかったんでしょ。

自分の中のいい人の像を追っていたんでしょ。

自分勝手とか思われたくなかったんでしょ。

私に嫌われたくなかったんでしょ。

 

皆に嫌われておけばいいじゃん。

だって、それがその人なんだから。

でも人に嫌われたくないし、いい人と思われたいし、自分の中にもいい人の像を作りたいんだよ。

 

そういう部分に精神力が打ち勝てる、もしくは本当にかなり人間的に大きな人じゃない限り、どこかで堤防にひびが入る。だから、人に対していい人とか、助けるとかって本当に強くないとできないと思うの。

どうして、心が狭くなったり、強くなれないかって、感情的にいろいろ問題があったり、歪んでしまう要因が過去に色々あったりするんだと思う。

 

私はよく「人の事なんてどうでもいいのよ」という。

結局自分の中に色々な問題や歪があれば、人との関係も上手くいかない。

 

自分の中にある問題や歪をしっかり見つけて、整理をしていく事がまずは先決だと思うの。

今世が生き難いのは先祖や前世にも要因があるのかもしれない。でも、そういう人の殆どは今世にかなりの要因がある事から目をそらしている気がするの。

 

もしも、ほんとにかなりちゃんとした専門家に、除霊をしてもらっても、その人自身が変わらないと、いたちごっこというか、また他の霊が憑いてくる。

 

「困ってる霊がいるから助けてあげたい」なんて思っても、自分が引きずり降ろされたり、大変な目に遭うかもしれない。しっかり泳げる人でも、溺れそうな人を助ける時、助けた人が流されて死んでしまうって話はよくあるでしょ。

中途半端な親切や優しさって、相手にも自分にも害になる事もある。

 

私が昨今のスピの奴らを嫌うのは、

中途半端な興味とかでスピに足突っ込むな。そんなに甘い世界じゃない。危険もいっぱいある。

足突っ込むなら、ある程度の覚悟を持って突っ込め。

 

スピリチュアルと言っても、色々な方向があるみたいで、どこからどこがどうで、目に見えないから、どの区域(周波数)には入ったら危ないとか、なかなかわからないと思う。

宇宙とか、甘いお花畑系のスピ内にいられるのだったらいいけど、それはそれでいっぱいお金を払ってカモられればいいと思う。スピリチュアルディズニーランドみたいな感じかな。お金で済むんであれば、しっかり敷地が決まっていて、そこから出ないんだったら、いいんじゃないかと。

 

私は自分がそんなに強くないと思うし、自分の身体を使って感じ取るから危険もある。余程必要かそのケースに興味がかなり無い限り霊の事はやらない。

死後に想念や執着を残さないように、今の世で起きた事、それがどう影響しているかを分析し、どう理解させ乗り越えさせるか。それが私の感情解放。

 

自分が変われば、憑かれる事も少なくなる。

それでも、人や霊が来たりはする。

もしよく憑かれたりするのであれば、それはその人にも要因や意味があり、本人が変わらない限りイタチごっこ。

 

結局は自分が変わらないと、同じことや同じ問題がグルグルくる。

LIMPIAでイタチをとりあえず追い払ったり、距離を取らせたりはできるかもだけど、またそのイタチ、もしくは別のイタチがやってくる。

 

専門家に除霊をしてもらっても、その人が変わらない限り、引き合う何かがあるから、また別の誰か(霊)がやってくる。

 

自分が変わるしかないんだとおもう。

その為の私が見つけたやり方が、私独自の感情解放なんだと思う。

 

LIMPIAで除霊が出来るか。

エッセンシャルオイルで癌が治せるか。というのに期待するのに似ている気がする。

出来るケースもあるかもしれないけど、その人が変わらない限り難しい。

 

Seinaさんも今でも貰うんですよね?

はい。ちょっとお人好しで、お馬鹿な私は貰います。

あと、セッションではお客さまにチャンネルを合わせて、私も出来る限り感じ取ろうとするので、その人が持っている想念やエネルギーは貰います。

LIMPIAはそんな私にはあった方がいいオイルなので作りました(∩´∀`)∩

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今日の写真はキューバの野良犬。

目が嫌だなぁ。

キューバの野良犬にも彼らの人生において色々あるんだと思います。