日本に帰ってきて、住居も整い、シンプルに片付いた家の中で静かに暮らしながら、これでいいんだろうか、と、時々考える。

「何しにキューバに来てるの?」

と聞かれると、「世界社会科見学」と言っていた。

平成1年の4月2日に初めて外国、ニューヨークに行った。

あれから30年いろんな経験をさせてもらえた人生だと思う。結婚もしてみた。

私の「世界社会科見学」は平成一年に始まったのかもしれない。

数年前、キューバの後にニューヨークに行ったときには、自分がこんなにすごい資本主義の骨頂のような、ごった煮のような場所で、何かに憧れ、追いかけて必死で暮らしていたんだなぁと不思議な気持ちになった。

私がいたころのニューヨークより物価は3倍くらいに上がっていたけど、街はごった煮というか、ごみ箱みたい。家賃は4倍くらいになってるし、こんなコスパの悪い街ニューヨークには、もう住みたいとは思わなかった。20代の多感な時に10年近くニューヨークに住んだのはとてもいい「世界社会科見学」だったのかもしれない。

キューバはニューヨーク(USA)とは国の在り方や政治的に、全く正反対のような場所で、そのギャップを体験出来てよかったと思う。私が持っていなくて彼らが持っているものはいっぱいあるけど、私が持っていて彼らが持っていないものがいっぱいある事に深い部分で気づいた。

無ければ無くて、暮らせることを経験し、ある事に感謝するようになった。

  • 私にずっと揃って両親がいたこと。
  • 私が物資的にほとんど何不自由なく育ったこと。
  • 家庭での教育(躾)と、学校での最低限の教育を与えてもらえた事。
  • 日本人には、外国に行き色々な事を経験できる自由や経済力が容易にある事。
  • 私たちの国は植民地支配をされなかった事。

そんな当たり前な事に感謝して生きるようになった自分がいる。

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お陰様で、オイルを売りながら細々く暮らせてる。

私は我慢が苦手で、ストレスに弱く、嫌なことに対する反応が強い。

25歳位の時に、NYのバイト先でマネージャーに気に入られてなくて週五日を週四日にされた。家賃や生活費、レッスン代をどうしたらいいかと不安になったけど、実際四日になると、ストレスが減って無駄遣いが減った。

結婚していた時は鬱だったから働きたくない。旦那の給料は少なかったけど、いかに倹約するか。如何にしてほしい物を手に入れるか。ネットで調べまくって、お風呂も、家も、自分で改装や修理をしていた。パソコンも自分で組み立てた。

外で働いてお金があれば簡単に解決するけど、働きたくないから色んなことを調べて倹約したり、自分でやろうとした。

 

数週間前、こんな人を見つけた。

30代で隠居というか、暮らしに必要な分だけ働いて暮らしているらしい。こんな生き方がいいのか、悪いのか解らないけど、私と被るところもあるとも思った。だから、改めてこれでいいのか、悪いのか立ち止まって考えてた。

【著者 大原扁理氏インタビュー】『なるべく働きたくない人のためのお金の話』

キューバでは、生きていくために、暮らしのために、何が必要か、をよく考えた。

物を追いかけ、物を買い、捨てることが惜しくなり、溜め込む。

何かがしたい、どこかに行きたい、と思ったとき、色々なものを持っていると動けないと、解っていてもたくさんの物を持っていた。頭ではそう思っても、心と体がついていかない。そんな私に実体験の学びを与えてくれたのが「旅」と「キューバ」だったと思う。

消費する事がいいのか悪いのかわからないけど、物を買う事や得る事に振り回され、周りの目や周りの人に合わせる事で出費が起きる事。それらに翻弄されて、暮らし方のスタイル、仕事のやり方を変えなくてはいけなくなる生き方は自分の首を絞めるというか。

多くの物が、不要だったり、ゴミになる。捨てることが惜しくて、ゴミにもできない。

彼が言うように、自分が暮らすのにどれくらいお金が必要か。その最低ラインを自分が知っていれば、そのプラスアルファを稼げばまぁまぁ暮らせる。

 

キューバでは、市場で食材を買い、それをどう保存したり調理するか。

仕事のためにネットのWi-Fiスポットに行くこと。

あとは、家の掃除をしたり。

Kidleをむさぼる。

 

メキシコでも、週に一度スーパーに行き、あとは家でPCをいじる。

ネットがあったのでキューバでできなかった仕事をたくさんやったり、友達とネットで話したり。

引きこもりのくせに、Kindleを読む暇もなかった。

 

今、我孫子にいて、あまり変わらない生活をしている。

週に2回ほど買い物に行き、家に引きこもり仕事をするか何か知りたいことを調べたり、余裕ができたらKindleを貪る。

 

世界中どこにいてもあまり変わらない比較的シンプルな暮らしをしてると感じる。←シンプルに暮らしていても問題はいろいろ起こるけどね。

母に「私ってどんな子供だった?」と聞くと、「あんたは紙一枚与えたらいつまでも一人で遊ぶ子やった」

今も私は放っておいたらいつまでも一人で遊ぶ子で、もともとそんな性質な人なのかもしれない。

 

徒競走でも勉強でも、隣に誰かがいると、競争するともうそれだけで負けてしまうような弱い私だった。

自分を護るために、人と競争しなくていいものを見つけて、独自の生き方をしてきたと思う。

キューバで気づけた、「持っているものへの感謝」。それに気づけたときに、自分の中で何かが大きく変わったと思う。

周りの価値観に振り回されず、人と比べず生きていきやすくなったと思う。

 

ニューヨークやキューバで暮らしたことで、やっといろんな事を納得できた。

「世界社会科見学」をしてよかったよ。

 

欲しいものと、必要なものは違う。

自分にとって必要なものプラスアルファで好きなものの中でシンプルに暮らせると心地いい。

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もっと、うまいこと、乗せこんで、オイルを買わせたほうがいいのか、と、時々考える。

オイルは私にとって必要なものとなり、暮らしに欠かすことが出来ないものになっている。

必要なオイルは欠かせない。

だけど、あまり使わなかったオイルも結果として出てくる。

 

私のような倹約家が、どうしてローズをあんなに勧めていたのか。

ヤング時代に、あれだけいろんな種類のブレンドを買っても使わないで持て余してしまう中で、ローズをいかに活用するかという事のほうが無駄がないと強く感じたからあんなにローズを進められるんだと思う。

 

色んなブレンドオイル作らなきゃ。いろいろ買ってもらわないと!

と思う反面、オイルを無駄が少なくシンプルに持って、うまく使いこなしてほしいと思う。

 

でも、これも、欲しいオイルをたくさん持ってみて、使わなかったという経験しないとそうなれないのかもしれない。

最初から、「欲しい」を抑え込むと、あとで反動もあると思う。

だから、とりあえず、いっぱい持ってみたらいいと思うよ。

 

で、無駄だった。

あぁあ、高かったなぁ、と実際に経験したらシンプルなラインアップになると思う。

 

世界を旅することも、行ってみないと解らない。

暮らしてみないと解らない。

痛い思いをしないと学ばない。

 

物も、オイルも、経験も、「欲しい」と思ったら、「欲しい」をまず満たさないと、次の段階というか価値観が芽生えにくいというか。

 

クリスタライズはあまりいっぱいブレンドを作ったり売り込もうとしないと思う。私一人が食べていけたらいいんだしね。

でも、性格的に、気まぐれで、思い付きで、スポット的に、ブレンド作るかもだね(笑)。

 

暮らしに欠かせなくなる、そんなブレンドオイルをのんびり売って暮らしていきたいと思ってる。

おつきあい、くださいね☆

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写真は、紙一枚でいつまでも遊ぶ子だった頃の昌子ちゃんです。

服とかは母がほとんど手作りしていたそうです。プンプンで丸々したあまり可愛い感じ、美形じゃない子供でした。それでも、いろーーーーんな事を経験できた50年にほんと、感謝している。