相変わらず、引きこもり、色々調べたり、本を読んだり。考えたり。
4年間くらい、日本とキューバを行き来し、住民票を適当に置かせてもらい、根っこのない様な暮らしだった。
よく昔から自分で言うのが、「世界を股にかけたホームレスやっています」。
ボヘミアン的な暮らしをして、特にキューバと言う日本とかけ離れた価値観や社会制度、私が知っている世界の別の側面の様な国、ニュースで入ってくる情報のフィルターも違い、入ってくる情報の量も違い、日々の暮らしでの考え方ややり方が違い、言葉もあまり解らないからそれでまた情報が少なり、戸惑いまくるような国に足をかけていたので、久々に、自分だけの空間と自分の物に囲まれ、自分の住所と自分の体が辻褄の合う場所にいて、色々なことをキャッチアップしながら自分の中の調整というか、そんな感じかもしれない。
あれ。今、写真とか調べたら、キューバ、5年だわ!
年とると年月経つの早すぎ。
新しい世界というか、経験した事がない世界に足を踏み入れて、5年間余裕がなかったから、日本の動きと言うのをそんなにちゃんとわかってない。
日本の中に居たら、流れの中での5年で、大きな変化に気づきにくいかもしれないけど。
すごい変わったよ。
特に、私みたいに情報が限られる国に居たら、日本での情報量が劇的に増えてる。あと、情報を得る為のツールも。
近年、日本でもダイバーシティと言う言葉をよく耳にする。
「多様性」
私は、日本で、同じように考え、同じように行動し、異質なものを排除するような、特に地方で生きて行くことがきつかったから、何度も日本から逃げてた。
我慢、忍耐、努力、協調、は得意じゃない。そんな事をしていたら気が狂う。だから逃げてた。
逃げるって悪い事だと、刷り込まれてるから、罪悪感もあった。
キューバに行ったのも、色んな理由はあれど、私は家族(姉や弟)からどうやっても手が届かない場所に逃げたかった。英語すら解らない彼らがスペイン語圏でましてや共産主義の国で、教養が低すぎると危ない国と思ってしまうようなキューバは逃げるにはうってつけだった。
そういう理由もあり、私たちの暮らす世界と反対側の世界を見たかったという理由もあり、音楽もあり、色んな事があってのキューバだけど、「逃げる場所」として選んだのもある。
私が20代で9年間、そのうち正味7年間をニューヨークで暮らしたんだけど、行ったり来たりだったの。ニューヨークがしんどくなったら日本に逃げて、日本にいたら居たで、地方都市の価値観や風潮で、ストレスが溜まり、「夢があるから」とか言って、逃げてたり。
もし、日本が居心地が良かったら、怠け者で甘んじたい系の私は、外国に逃げないと思う。
でも、外国に行けば行ったで、そこでも自分が身に付けた常識や価値観と、自分の弱さできつくないと言えばウソ。
色んな人の中で、色んな怒りや、戸惑い、ストレス、興味、好奇心、寂しさ、を体験しながら、もがきながら、いつの間にか、自分勝手な私なりの「多様性」を身に付けた。
色んな人がこれからの時代にダイバシティが必要だというけど、必要だからと言って、すぐに身に付くものじゃない。
「色んな怒りや、戸惑い、ストレス、興味、好奇心、寂しさ、を体験しながら」徐々に身に付くものなんだと思う。
ほんと、腹も立つし、悔しい思いもするし、クソって思う事もいっぱいある。
どこまでを、国民性や民族性で片づけるのか、どこからがその人が無教養ゆえにそんな事をしているのか、無教養さすら国民性や民族性、歴史からきてるのか。どこからが、自分の中の差別意識なのか。そんな中で大事なったのが、日本と言う国が特異な国であることで、私の常識は日本の歴史や宗教観、地政学的な事とか、相手が違うんじゃなくて、自分が違うという事を知る事にフォーカスをする必要がある事にやっと気づいたのがラテンアメリカに関わりだしたこの5年の事。
全く違う歴史のある相手側の文化圏に入っている私が「異邦人」
逃げたから見えたもの。逃げたから得られたものはすごく沢山ある。
私がこれ程までに「考える事好き」になったのも、考えないと理解できない、考えても理解できない環境での暮らしや、日本では日本の、他国では他国での、違和感をどう処理をしたらいいのかアホな頭でも自分なりに考えるしか方法がなかった。誰も、私が納得いく答えなんてくれない。だけど、処理できないと気持ち悪くて仕方がない。
自分の頭で考える
という事は、これからの時代にすごく必要だという人たちがいる。特に知識人と言われる人で、広い視野を持っている人(知識人でも視野の狭い頭の固い人も多い)。
昔は、自分の頭で考えるという事が邪魔だったとも思う。面倒臭い系の人として扱われた。
そういう風潮や社会の仕組みがあった。最近理解した事の中では、産業革命以降、日本の高度成長期にはそれが機能していて国が成長したのかもと。だから国がそういう戦略で教育システムとか社会システムを作っていたのかもしれない。私が20歳の頃の30年前は、世界トップの経済国になり、そういう社会やシステムが当たり前で、常識的であると疑わなかった時代でもあったのかもと。
でも、それが、もう機能しない時代になってきてる。
そういえば、90年代後半、Appleが何かもよく解ってなかった頃。ニューヨークの59丁目に大きな広告があったの。
私はI Love Lucyが大好きで、LucyとRickyの大きな看板に目が釘付けになった。
そこにThink Differentと書かれていた。
I do Think Differentだからこそ感じていた孤立感と、生き難さ。だけど、人と違うように考えないと意味がない、Think Differentだから私は生き延びてる(自分の心や、その頃挑戦していた音楽のプロジェクト)、はず。と、大好きなルーシーのポスターを見るたびに心でその言葉をかみしめ、弱い自分を奮い立たせるかのように自分に言い聞かせてた。
Think Differentは、結局「自分の頭で考える」事からしか生まれない。
20歳からの30年間、私は沢山物から逃げ続けた。逃げまくった。
その事で、得られたものと、我慢、忍耐、努力、が出来ない私だから、得られなかったものがある。そのつけは理解してる。
そうしてじゃなくちゃ、弱い私は「自分」を守りながら生きて行くことが出来なかった。
でも、次の時代に、多様性を体験してこれたことはとても良かったと思う。そして何よりも自分の頭で考える事、そうしないと生きて来れなかったから、いつの間にか、徐々に考える事が鍛えられたんだと思う。
否応なく、多様性を身に着けて行かないといけない時代。
多様性の中で、正解はなく、自分で考えるしかなくなる時代。
世の中の役には全く立ってない、すき間を生きる私。
この10年書き続けたブログには、自分が他と違うから起こる日々感じる違和感、私の戸惑いや、葛藤、自分の頭で考えようとする等身大の私が残っていると思う。どこにも正解はなく、その時に解ったと思った事も経験と共に違うとなることもあり、その時出した答えや正解は、その時だけの刹那的な物や段階的でもあり、これからも変わる自分と、すごいスピードで変わっていく世の中。
そんな中で、一番大事なスキルが、「自分の頭で考える」という事だと思う。
今私が考えたこのことも、3年後にはもう変わっているかもしれない。1年かもね。私が変わるし、世界や社会が変わる。考える事を止めなければその変化の中でなんとか「自分」を生きて行くことが出来るんじゃないかと。今は思う。
一度壊れなくちゃ、人ってなかなか変化できない。
私の体当たりで、等身大の、時々勘違いしながらの、壊れまくりの歩みが何かの役に立ってくれるといいなとも思う。
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実はさ、私がキューバに憧れた理由と言うかきっかけの一つには、I Love Lucyもあるんだ。ルーシーの旦那のリッキーがキューバ人だったの。ドラマの中のリッキーが大好きだったのよ。