このブログも10年くらい書いてる。ミクシィ時代を入れたら、グダグダ書き始めて、13年くらいか。
国語2しか取った事ない私が、こうやって書き続けられてるのも、私のブログを楽しみにしてくれる人や、興味深く読みハマる人たちが居るからだと思う。誤字脱字も多いが、恥ずかしいとも思うけど、それが私。
色々あったと思いだす。で、ま、特にスピ関連の人たち、ヤング関連の人たち、とのかかわりが多かった。で、よく言っていたのが、
人が言う事を鵜呑みにするな。
私のいう事すら鵜呑みにするな。
私も沢山の間違いや勘違いをする。今も年々、日々、変わっていく。私のブログを読んで、鵜呑みにするんじゃなく、心を立ち止まらせて、自分で考えてほしい。
書く際に心がけてきたのが、読む人が考える隙を与えるように書く事だった。
私の文章には、「多分」「っぽい」「かも」「らしい」「と、思うんだ」といった曖昧な言葉が多い。
これは、文章を書く上で、良くない事だと言われる。論文なんかだったらもってのほか。だけど、私が書いている事は、その時点での私の経験や知識からのもので、その時点の私の主観的なもの。それは一つの観点や、考えであって、正解でもなんでもない。
断定的な言葉で書くことで、その事をあまり知らない人や、自分を信じられない人はそれを信じてしまう事も少なくない。
スピ系やヤング系で出会った人たちの多くはそういう傾向があるな、と、感じ。知り。気を付けてる。つもり。自己啓発系に惹かれる人も。
昔、本田健のちょっと伝説的なセミナーに参加した時に、それを痛感した。
多くの人が、自分より賢く、知識があり、自分に自信がある、自分を信じる力の強い人のいう事を疑いもなく信じる。信じるというより、流される。
自分の考えは、自分という世界にたった一人の、誰とも同じ経験をしていない一人の人間が、その経験をベースに考える事で出来るものだと思う。だから誰とも100%共感、共鳴できることではなく、特に、まわりに同調する傾向が強い、それが良いとされてきた私たち世代の学校や社会ではよほど自分が強くないと、自分を信じる力を持っていないときつい。
私も、偉そうなことは一切言えない。
私も、自分がなく、流されまくり、もがきながら、他人とぶつかりながら、泣きながら、グラグラしながらだった。辛かったし、寂しかった。
私が本田健のセミナーに参加したのは、9年くらい前だと思う。
その頃は、まだ、アロマの感情解放に気づいて1年くらいで、まだ自分がそれほど強くなかった。自分より信頼できる誰かを探していたのかもしれない。でも、そこで見たことは、私の頭を「?」の嵐にしたの。
自分の軸をちゃんと感じ取れるようになったのは、それから1~2年後で、不安定ながらも感じとるという感じ。
しっかり自分の軸を感じ取り、必死にそれにしがみつこうという感じで生き始めたは感情解放を初めて3年位が経ってからだと思う。
その後、キューバでカルチャーショックの連続に遭い。何度も今までの自分の価値観が打ちのめされる。だけど、私に適したアドバイスができる経験や知識を持った人はいない。私と同じような考えや価値観を持った人もいない場所。
「日本で生まれ育った私」の頭で考えるしかしょうがなくなった。
あの頃、ある日本人に騙された。
どうして騙されたのか。
スペイン語が解らない。キューバの事を殆ど何にも知らない。知らないから、私よりも知っている人を信じたんだよね。日本とは全く違ったし、人種のるつぼと言われるニューヨークとも全く違った。私の経験から考える為のリソースがなかったの。
そういう状況になると、人は、自分より詳しい人に頼ったり、乗っかったり信じたりする。という事に気づいたの。
あの頃の私はキューバでは5歳児くらいだったんだと思う。ま、今でも14歳位だと思う。
私たちは、まわりに合わせる事が、とても大事だと教えられてきた。
中学生の時に、世界で一番大切なものは何だろう、と、自分に問いかけた。
出てきた答えは、「自分の心」だった。
子供の頃から、周りや大人がどうしようとしても、「私はどう思うの?」と自分に時々問いかけてた。ほんの時々。
小学生の頃の通知表には、「協調性がない」とずっと書き続けられてた。
そんな私でも、周りを軸に物事を考える人になってた。流される人。
ほんの時々、「私はどうしたいの?」「私はどう感じてるの?」と問いかける。そうすると周りの人から、私の心は孤立していった。辛くて、寂しくて仕方がない。
そして、また、誰かに合わせて、何かに流されていく。
「自分の頭で考えろ」と、私がどれだけメッセージを発信しても、それがどこまで伝わっているのか解らない。この近年私自身の「自分で考えるという」概念がというか、形ややり方が変わったと思う。
多くの人が「考えてる」つもりなんだろうとは思う。
違うの!と、私は心で叫ぶ。
考える為の軸を「自分の中」に持たなくてはいけない。
それが、「自分の頭」で考えるという事だと思う。
多くの場合、考える軸が「外」にある。
私も偉そうに言えない。私もそうだったから。
そして、いつも言うように、考える為のリソースは、自分の経験と知識。
自分の経験と知識が少ないと、考えるリソースが足りない。
そういう人は、誰かに乗っかったり、周りの価値観に振り回されたり、自分以外の自分を信じている人のの言葉を鵜呑みにする。
先日、ある、自己啓発系の人が本田健たちに非難されているのをSNSで見た。
その人は、詐欺とかセクハラで飛んでもなかったらしい。
成功、賢者、富、を売りにしていた。
こいつ、おかしいよな。と思って眺めてた。
かなり派手に暮らしていたっぽいので、かなり稼いでいたと思う。
影響力のある誰かが声を上げると、多くの人が「私もです」と乗り出す。そして彼は見事に吊るしあげられる。
彼にも問題はもちろんあるだろうけど、成功、賢者、富やキレイごとの上っ面に惹かれ、彼を祭り上げた人たち。その人たちも加害者だと思う。
今までチヤホヤしてたのに、ウィンウィンとか言って利用していた人たち。
しっかり、自分の頭で考えることが出来ない人達。
力や影響力があるきれいごとを言う人達について行く人たち。
ちなみに、決して私には影響されない下さい。自分の頭で考えて、自分のやり方で生きて下さい。
気づいている人も居ると思うけど、私、ほんとに、スピ系、MLM系、自己啓発系の人たちが嫌になってる。
キレイごとを上手に並べ、それに多くが惹きつけられる。
でも、問題は、そういう事をやっている人たちじゃなくて、そういうあほー達に惹かれる人たちの方が問題なんだと思う。自分より信じられる誰かを求めてしまうのだと思う。
私も傍から見たら、同類。
時々、マジで、こんな系の仕事辞めたくなる事がある。
感情解放コースなんて、あんなしんどい作業、私もやりたくない。
それでも、まだもう少し踏ん張ろうと思う。
自分の頭で考える事が出来る人を作りたいから。
自分の頭で考える事をしない人たちが溢れる世界で生きたくないから。
自分の頭で考える日本人が増えないと、もう生き残れない世界になっているから。
そんな親たちや大人たちにがつくる社会は、自分の頭で考える事を潰していくから。
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今日の写真は、2016年の怒涛のキューバ国内旅
学校の夏休みを利用して、友達とカマウェイとサンティアゴデクーバに行ったの。キューバ人仕様のかなーりハードな旅。留学生はキューバ人用のバスとか電車に乗れるんです。
滞在先は友達の友達の家。その町はさとうきびプランテーションの為にできた町。サトウキビ畑の労働者だった人たちが暮らす町。
これは、ピッキングトラックだけど、この日の移動は、この前にすごいぼろい、結構デカいトラック。の荷台。結構飛ばすし、風や雨に打たれて、吹っ飛ばされないように必死で荷台につかまって、死ぬかと思った後。トラックの荷台に乗り込む事すら、結構大変なんだよ。怖かった。髪ボッサボサ。後ろの男性は写真のピックアップトラックに相乗りした、通りすがりの人。47歳の日本のおばさんにはハードすぎた。
この時の旅で経験した事は、まじヤバかった。きつかった。でも、がんばった。200か所くらい虫にも刺されたし、サンテリアの儀式とかにも遭遇。そして、ハバナに戻って暫く混乱してた。カルチャーショック激しすぎ。
久しぶりに思い出したけど、この旅はかなり激しかった。濃かった。そういえば、キューバ人の一番安い席の夜行列車とかも乗った。もう二度とこんな旅は出来ない。体力的にも精神的にももう嫌だ。知らないから、行けたんだと思うわ。
すべてがカルチャーショックだった。
そういえば、この後、ほんとにヤバくて、キューバを逃げた。残りの夏休みを親しい友人がいるパラグアイで過ごした。今は彼女は、うちの近所に住んでる。今もよく助けてもらってる。えへ。