昨日、回想録とか、ふと書き始めて、ニューヨークの第二フェーズを書いていたけど、途中でやめた。

改めて思い出してみると、90年から92年の間の1年半にかなり色んな経験をしてるの。日本でしか暮らした事がない人にとっては、そんな目に遭いたくないだろうな、と思うような事のオンパレード。近所の友達が殺されたとか、空き巣に入られたとか。コカイン中毒のルームメイトに困ったとか。

私は、好きな事しかしたく無い。というより、嫌な事はやりたくない。

そんな風に生きていて、自由に生きているようで、羨ましがられることも少なくなけど、好きな事をするために、したくない事もたくさんしてきたなと、いう事にも改めて気づいた。

特に水商売。

私の性格上、かなりきつい。でも、私のニューヨークでの暮らしや音楽のプロジェクトを支えてくれたのは、水商売。旅の資金も。

スナックやカラオケバー、レストラン、ラウンジ、高級クラブ、キャバクラ。

32歳の時に、29歳と言って、池袋でキャバ嬢もやったのさ。当時池袋に住んでいて、ある日、銀座は電車の都合で零時までしか働けないけど、池袋のキャバクラだったら夜中3時くらいまで働けるからその方が良いじゃん。と気づき銀座勤め辞める。もちろん性格的にかなりきつい。けど、2~3か月は首切りもないだろうと、服装も銀座ほど厳しくないし、ヘルプホステス的にやったの。2~3か月で45万円貯めた。そのお金でタイ、インド、マレーシア、シンガポール、インドネシアの旅に出た。半年。ど貧乏旅。

タイ
マレーシア。イスラム教というのを初めて身近に感じた国。
2度目のインド。ガンジス川。黄色のパンジャビ可愛いでしょ♡

ニューヨークでは、10か所以上のお店で働いた。カラオケバー、アメリカンスタイルのバー、クラブ、ピアノバー、高級レストラン、レストランのメイトルディ(案内係)。お弁当の配達員もした。

今振り返ると、嫌だった仕事程、色んなことを経験しているの。特にニューヨークのクラブやピアノバー。

ホステス向きじゃない私だったけど、やらないと、生活費稼げないし、ニューヨークに居れないし、歌のレッスンももちろん取れない。やりたい事、好きな事をするためにやれたんだと思う。

私は今は、あまり嫌な仕事はやらない。その代わり、無駄を省いて質素に暮らすことで出費を抑える。

アロマシールドをやれたのは、自分にあるスキルをよく考えて、私だから出来るシステムを作ったの。それは、ニューヨークでの暮らしで経験したアメリカの事情や、英語もそう。あと、PCスキルもまぁまぁある。ウェブサイトも自分で作れる。ショップサイトは苦労した。

今までの自分に出来る事のもうワンステップを努力することで出来たんだと思う。私が一番いやな事は、迎合したり、理不尽な要求などで頭を下げる事。そういった嫌な事をしなくていい仕事を自分の経験をパズルのように組み立てて作ったの。

振り返って自分でも呆れたけど、私かなり色んな仕事をしてるの。

マクドナルド・バスガイド・パーティコンパニオン・アパレル店員・水商売バー系ほぼ全部・弁当配達・歌手・高級日本食レストランうウェイトレス・普通のレストランウェートレス・メイトルディ・理化学研究所のカフェウェートレス・ツタヤのDVDのパッケージ入れ・JASRACのデータ入力・シリコンバレー系の外資IT企業の総務・ネットワークビジネス(ヤング)・スピ系・アロマ屋・・・。多分まだあると思う。専業主婦もしたわ。青字がニューヨークね。

水商売でも、ニューヨークの場合は、高級なお店はそこそこの企業の人たちしか来ないの。そこで、全く解らないままに働いていたけど、今思い起こすと、そこで見たことや感じたことは、ある部分では、今の私の社会を感じる、考えるリソースになってる。どういう事かというと、一応、日本の一流企業の人で、NYに駐在や出張で来れる人たち。私馬鹿で、なーんにも解らないから、伊藤忠だろうが、丸紅だろうが、だから何?メリルリンチ、ゴールドマンサックス、ソロモンブラザーズ、何?チョウギンは、朝鮮銀行だと思ってた。早稲田、慶応、東大が当たり前で、そんな人たちを引っ張りまわして遊んでた。駐在員レベルだと、私の方がNY詳しいんだもん。

最近、当時の人たちの事をを思い返してみたりもした。

消えてる会社も多い。そこそこのキャリアの人は検索をすると何かが出てくるんだけど、消えてる人も少なくない。コロンビア大学のMBAを取った証券系の人も、見つからない。もちろん、見事にキャリアを重ねて生き残っている方もいる。商社系は、子会社の取締役とかになってる人が何人かいた。

金融系が華だった時代。飲んでいても、ポケベルが鳴り続ける。そういう人のほとんどが、時代とともにどう流れて行ったのか。統合合併などもありすぎて、よく解らない。いくつか会社を変わっている人も少なくない。大和銀行のお客さまもいっぱいいた。

2~30年で、時代が大きく変わったと実感する。

平成の30年間の経済の流れの話を聞くと、なるほどそういう事だったのか、と、とても理解がしやすい。

先日、過去に関わった日本人のミュージシャン等々も調べた。続けている人も結構いる。というか、ひとつの仕事をするという事は良い事だと、思うというか、そういう時代だった。でも、私の場合は、今振り返ると、歌手として続ける事より、色んな事を転々とやりながら、色んな経験が出来たことの方が良かったというか、私には合っていたと思う。

ボストンのバークレー音楽院とか行ってる人が羨ましかったりもしたけど、バークレー行ったからって俗にいう成功をする人は一握り。ニューヨークでは、バークレーに行っていました、という音楽以外の仕事をしている人はいっぱいいた。

それより、私にとっては、高齢の、ジャズがすごかった時代を生きたミュージシャンたちの中で子供の様に遊ばせてもらい、彼らのやり方や生き方から何かを学び、現実を見たり、彼らと演奏をしたり、録音をしたり。キューバでレコーディングが出来たのも、彼らとの交流やレコーディングの中で経験した事が役立った。それがあったから苦労しながらも作ることが出来たんだと思う。

戦争の事も、私なりにかなり突っ込んで調べたり考えた。そこで、出会った人たちや、見てきたことや私というフィルターで感じたことは、誰も教えてくれる事じゃない。かなり入り込んだし、歴史のすき間を垣間見れたと思う。そういうことを知る事で、自分の価値観が崩壊し、自分自身が変わっていった。

「あたし、高卒で、学歴低いけど、ストリート大学、大学院、博士号まで持ってますから」と、よく冗談で言う。

 

「好きな事」というけど、その時点の、自分の情報や経験によって、「好きな物」と思っているだけで、それはただの「その時の好きなもののひとつ」なんじゃないかと思う。

振り返ると、あの時の私の経験値で「好きだ」と思ってきた事を貫けなかった私で良かったとも思う。だから色んな経験が出来たんだとも思う。そこで貫けていたら、今の私はいない。ただ、「好き」「やりたい」と思った時の私のエネルギーはやばい。

とはいえ、その時点で、好きな事、興味を強く持つものは、しっかりあった方が良い。でもその向こうに何があるのか、何が来るのか、何が起こるのか、それは本当に解らないと思う。特にこれからの時代がどのように変化していくかは、かなり予想が難しい。

 

好きな事で稼ごう。とか、スピや自己啓発の人が言うけど、私は好きな事の為に嫌な事をやるのはありだと思う。大事だとも思う。というか、やりたい事があるから、それが出来るんだと思うんだ。それが、家族であったりもすると思う。

スピや自己啓発の、好きな事をしようというのは無責任だとも思う。何かを地道にやっている人には害でもある。

しっかり、自分で「好きな事」「やりたい事」を解っている事が大事だと思う。(←これが解らない人が多い気がする。漠然とした「成功」や「お金」を求める人はかえってリスクがある気がする。騙されたり。変なスピとか自己啓発系に。「保証」も時代が変わるので、解らない。今みんなが「いい」「これだ!」というのは、多分20年後には良くなくなってると思う。銀行・証券が大変だったように)

どうしてもやりたい事があったら、何かを犠牲にしても突っ走れると思う。あんなに嫌いだった水商売をなんでやれたかって、やりたい事があったから。好きな世界以外で、見て経験することは、価値があったと思う。

 

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今日の写真。

これは、19歳になり立てくらいの頃じゃないかな。この店は、結構ヤクザの出入りとかもあって、じゃんけん飲みしたら、指がないとか。私はヤクザに好まれるタイプじゃなかったので結構大丈夫。

そうそう、今もお世話になってる珍竹林のママは、23歳くらいの時に働きだしたお店のオーナーだったの。やりたい事の為に、仕事を与え、支えてくれた。泣きながら、吐きながらやってたけどね。

今数えてみたら、短期長期(単発抜いて)30店舗以上でホステスしたかも。クビになったのは、2軒な気がする。多分、仕事のやり方とか流れが解ってさっと仕事するし、遅刻や欠勤が少ないから、切るにきれなかったのかも。あとは、人並みの普通程度の顔かたちに産んでくれた親に感謝だね。