いっこ前のブログ記事に続いて、もうちょっと、私と親との関係の事を書こうと思う。
普通、親は、衣食住と教育を与えてくれる。社会に出て自立をするまでと社会に出てからも私が困難に陥ってしまったときは食・住を与えてくれた。
小学校にはいるまではほぼ100%親の価値観と法律の中で生きてる。その後、学校で「社会」を学ぶ。一般的な日本人としての共通の常識やルールの様なものを学校生活から学び始める。それでも、価値観は「家庭>学校」なんだと思う。ただ家庭での状況がひどすぎる場合は、国の法律が保護できる場合もあるんだと思う。でも、ほぼ100%親の価値観で育つことで、それが当たり前の世界になってしまう子供にとって、自分が置かれている状況が異常とかおかしいという事に気づくことはとても難しい。
親の視野が狭かったり、親が親の価値観の中で子供を育てるとコントロールされる生き方を選ぶ子になる。自分の範疇でコントロールした方が育てやすいとは思う。私もコントロールされて育った。すべては父の法の中にあり、それを外れると手が飛ぶ、もしくは激しく叱られる。
25歳くらいの時に、これって恐怖政治だよな、と思ったけど、反発しても、父の方が強く権力もあり、その頃の私にどうにもできなくて、結局従うしかなかった。
否定的な言葉を浴びて生きてきた私は、自分がグズグズで弱いから色んな事がうまくいかない。意思も弱い。
もし自分の意思を通して、その後失敗をすると、父は「ほら見たか」という。自分のいう事を聞かないから失敗したという事。
家族から離れて暮らしていたので、あれ?と気づくことはあるけど、しっかりコントロールされてる。鎖で縛られているような。時々日本に帰ってくると、みんなが父の顔色と法律で生きていた。自分の意思がない様な。今思えば、その法律の中でどう上手く生きて行くか、家族の中でどう有利に生きるか。そんな感じだった。その異様さに気づいていたのは私だけだと思う。どうして気付いたかというと、家族から離れて暮らして、色んな人に会い、外の世界を知ったからだと思う。
今考えると、とても恐ろしいのが、父が決める際には二つのやり方があって、ひとつは「父」という権限で決める事。それとスピリチュアル的な降霊術の様な、今のスピ系で言うとチャネリングの様なもので決める。それを我が家では「お神さん」と言っていた。
久しぶりに日本に帰ってくると、家族はみんな父とお神さんに従ってた。でも、私もそれが間違っているとは確信もなく、自分に自信も無いので彼らほどじゃないにせよ、7割の事は従ってた。「違うな」と感じても、どうしていいか解らなかったり、自分に自信がない時は従う。そもそも、自己肯定感が弱い、否定感が強かったので従う事を選んだ。それでも、家族の中では従わない方だった。それは「わがまま」という言葉で嫌悪された。
こういう環境で育った私は、自分を持とうとしながらも、自分がなかった。自分の意思で何かを決める事が困難だった。結局自分をコントロールしてくれる人を求め、コントロールしてくれる、自分よりいい答えを出してくれる、ある程度庇護をしてくれる友人と親しくなる。このことに気づいたのは20代後半だったと思う。父との関係の形が私の「当たり前」だったので、そういう人を選ぶ。それが自分にとっても心地よく楽なんだと。でも、気付いただけでそれをどうにかできる訳じゃなかった。そういった友人を求めなくなり、そういった友人が殆ど居なくなったのは44歳位だと思う。
余談だが、自分が変わってしまうと、とても親しかったのに付き合うことが出来なくなる。
あと、恐ろしい事は、否定的な事を家族から言われて育った私は、私を褒めてくれる人には警戒をした。衣食住を与えてくれた人や家族は私を「豚」「おかしな子」「恥ずかしい子」として扱って、馬鹿にするような事ばかり言っていた。生存を支えてくれている人たちがいう事の方を信じるの。だから、私を褒めてくれる人は変な下心があるとか、私に嘘をついているのだと思ってたの。
もっと恐ろしい事は、もし好きな人が出来たり、彼氏が出来ても、その人をけなしたり、馬鹿にしたようなことを言うの。衣食住を与えてくれて、愛してくれているはずの家族がそういう言葉をいつも言っていたからか、それが愛情表現だと思っていたというか・・・。これは怖いよね。
で、そのうち、家族にもそんな扱いを受けてきた「価値のない私」を好きだという人を試し始めるの。
で、ある日、ある本を読んでいてそれが人格障害の症状だと知ったの。過去の自分を思い出してぞっとした。
家族という、愛されている「はず」の安全地帯は、その閉ざされた世界で生きるには安全かもしれないけど、外に出た時にその異様さに気づく。気付いても、何十年もその世界にコントロールされて生きてきたから、それが自分の奥底の「当たり前」になっていて、なかなか変われない。私の場合は45年位かかった。
あと、ワークの時にとても気を付けているのが、どんなにおかしな、異様な親だったとしても(毒親っていうのかな)、他人である私はそれがおかしいとは言えない。もしも、その人が自分の親は毒親だと思っていても、それを他人に言われることには拒絶反応を起こすの。だからその人の親がどうしてそういう風にその人が扱ったのか、彼らの過去にどんなことがあったのか、親の親(祖父母)たちに何があったのか、それをできる限り聞き込んで行って、親がどうしてそうなってしまったのかの経緯を探すの。
子供として親を見るのではなく、ひとりの大人として、一人の人の人生を考察できるように。だけど、多くの場合、親に対して「子供」としての観点や、「子供として」埋めてもらえなかった心の栄養失調の様なものが、その作業で葛藤を起こすの。その人に解るように、解いて説明をしていく。その時に、心理学はもちろん、社会学、近代史のからの考察も使う。あと、すぴぃけど、得意のリーディングも。この作業は自分一人では出来ないと思う。(それと並行して、オイルで感情を解放をし、その人の心を整えるワークもする)
そしてやっと、頭の中の鎖が解け始める。呪縛というか。
で、私はその人にとっての、その段階での「次の一歩」への価値観を提示する。というのも、その人はその頭の中の鎖がある状態が今までのその人の「当たり前」であって、それが崩壊すると糸の切れたタコというか。だから「次の一歩」の「提示」。提示でしかない。というのも、そこからはその人が自分で選ぶことの始まりだから。
その人が親から離れるのも、離れないのも、その人の選択。
自分で歩く事や孤立が怖くて、やっぱり親に今まで通りコントロールされていたいと思うかもしれないし、だれか他に自分をコントロールしてくれる人(導いてくれる人)が欲しいと思うかもしれないし、不安でもすこしずつ一歩ずつ自分で歩くことを選ぶかもしれない。
どんな事であれ、それは人からさせられているのではなく、無意識だったとしても、何かと何かを天秤にかけ自分で選択しているんだと思う。
その事に気づかないで、「~された」と考えたり、被害者意識を持ち続ける人は決して「自分」の人生を「自分」で歩んでいるというのを感じられない気がする。
私が色んな心の問題を抱えたのは、親や家族に要因があったのは否めない。
それはそれとして受け入れ、コントロールの鎖を解くのも可能だと私は信じてる。
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