ふと、前に買ってまだ読んでなかった本を読もうと。

親たちのどういった態度や環境が子供に影響するのか。それが、脳の成長に影響を及ぼす、脳が変形するとかいう事を小児精神科の先生が書いた本。

読んでて、ちょっと気分が重くなり、なかなか進まない。途中かなり飛ばしながら読んでる。

気分が悪くなった要因は何だろうと、考える・・・。

また言うけど、私は子供がいないから偉そうなことは言えない。子供が欲しいとはあまり思ったことがない。若い頃から、出来れば自分のような人間を産みたくないと感じてた。その位自己否定感が強かった。子供がいてもいいなと思いだしたのは、45歳を過ぎてから。自己否定感が殆どなくなってきたころから。だけど、もう遅い。

 

40歳までの私は、心が病んでたと思う。

この本は、小児精神科に来る子供のケースを見ている人たが書いているので、ケース的には重い。どのケースも言える事は、親の心が病んでいるという事なきがする。

私の母はあまり愛情を知らずに育った人。正直、祖母はひどいとは思う。

父も色々あり、心に傷を持ってた。

20代の彼らが、私や姉を産んで育て、その後弟が生まれ、妹が生まれた。

 

激しい暴力などは無いけど、そこそこの体罰はあった。でも、何よりもきつかったのは、親や姉の言葉だったと思う。

今、心が大人になって思うのは、母や愛情をあまり知らずに育ったと思うので、仕方ない。よくも、あんな環境で育った人が、私たちを育ててくれたと思う。感謝してる。

父も仕方がない。姉が生まれたのは22歳。私が生まれた時は24歳。父が抱えていた心の傷は多分癒える事はなかったのかもしれない。それでも「父」としてとても頑張ってくれたと思う。責任感の強い人だった。だけど、私たち家族はぐちゃぐちゃになった。もう取り返しはつかない。

 

私の家では父がすべての法律だった。

母は私の事が理解できないから、おかしな子、困った子、として扱った。いつも笑いながら、私を馬鹿にした。

姉は、私の事を、恥ずかしいと言い、豚、と言ってた。すぐに泣くのも恥ずかしいと言ってた。仕方がない。2歳の時に突然私が生まれて愛情が満たされないうちに「お姉ちゃん」というお役目を頂いたのだから。押し付けられるというか。

小さい頃、包丁を手に取り、痛くなかったら死にたいと何度か思った。記憶では6~7歳だと思う。それからも何度も死にたいとは思ったと思う。

 

スピでは、魂は親を選んで生まれてくるというので、私もきっと選んだんだろう。スピを探求するようになってからは、その答えを探した。自分が生まれてきたことを肯定できないと、その意味が解らないと・・・。

子供の頃からよく泣き叫んだと思う。NYに居るころも。食べて吐くという行動は25歳位から始まったと思う。ストレスを感じると暴食をし、その後指を突っ込んで吐く。そうすると一瞬すっきりする。それから2年位してそれが心身病で過食症だという事を知ったの。

そしてある事をきっかけに鬱になり、来る日も来る日も意味も解らず涙が出てくる日々。

 

前の旦那は比較的健康的な家庭で育ったから、私にネガティブな事をいう事はあまりなかった。でも、ネガティブの中で育った私は、それが理解できないし、私の苦しみを全く理解できない彼が許せなかった。

離婚後やっと自分の家族が濁流の様だと理解した。私はあの濁流の中に戻るのだと。

 

37歳で離婚をして、その後すぐに3カ月ニューヨークに行った。

ニューヨークには友達はもうあまり残ってなくて、多くの時間を一人で部屋で過ごした。やる事がないからヨガや瞑想をしていた。3日間ほど誰とも会わず、誰とも話さず、そんな暮らしをしていたら、ある日忘れていた記憶や感情が溢れてきた。嗚咽の様に感情を吐き出した。あの経験が感情解放の始まりだったと思う。

その後、オイルを使うようになり、より効率的に、楽に感情を解放する方法を見つけた。

40歳の頃には食べて吐くというのはかなり減っていたけど、完全になくなったのは44歳位の頃だと思う。

 

昔、友達で、手首を切る子がいた。よく精神科に入院をした。私は32歳くらいだった。彼女に何かを言うとそれがどんな反応を起こすのか解らないから怖いと感じるようになった。子供の前でも手首を切る事もあり、その子は血まみれの母親を見ていたらしい。彼女はよく病室から私に連絡をしてきた。友達だから何とか助けたい、と思ってもそれはとても、とても難しかった。

私は子供を里子に出す事を勧めた。その後、彼女はまた妊娠をした。長女を里子に出す事を勧めたのは私。私はどうしていいか解らなくなった。そして彼女は言う、私には子供がいないから解らないと。

私は、何も言えなくなり、彼女との付き合いが怖くなり、縁を切った。

彼女の脳も傷ついていたし、彼女の子供も傷ついていると思う。彼女はどうしていいのか解らずにもがいてた。一生懸命生きようとしてた。でも、心が傷だらけの彼女は子供も傷つける。

 

今までの友人の中で一番苦しくてもがいていたのは彼女だと思う。

でも、彼女ほどではないけど、自分が傷ついていて、自分が満たされなくて、不倫や浮気をする友達がいた。彼女たちは私には子供がいないから解らないとか、私には彼女たちの女としての気持ちが解らない、という。私はそういう友達とは縁を切った。40歳までは友情を考えて苦しかったけど、40歳を過ぎた頃からはそういう人は友達としてはスパッと切った。

どうして彼女たちがそうしてしまうのか。多分、彼女たち以上に気づいてる。解ってる。だけど、彼女たちはその仕組みをわかって欲しいんじゃなくて、傷ついている自分の辛さを解って欲しいんだと思う。そして、不倫や浮気を、友達として肯定してほしいと。

でも、子供は傷つくんだよ。だから、私は肯定しない。そんな秘密を持つと、私は子供たちの顔を見る事も出来なくなる。

 

傷ついている人は、人を傷つける。

私は傷ついていた。変に傷に触れられると条件反射で相手を傷つける。優しくしてくれようとする人すら、自分の痛みを解ってもないとかみつく。

私の脳は傷ついていたと思う。生きているだけで色んな支障があった。

でも、私は、私を諦めなかったとは思う。

 

今、たいして何もないシンプルな暮らしで、何がしたいとも思わない自分は、これでいいのかと時々自問する。

だけど、自分を責めたり、否定して苦しむ事がなくなり、自分がただいる事、ただ生きている事が、とても心地が良い事が、とても、とても嬉しいんだ。

たったそれだけの事が、とても、とても嬉しいんだ。

それだけの事が、こんなにうれしい私の「脳」は傷ついていたのだとは思う。

 

親が悪かった、とは思わない。

良いとか悪いじゃなく、仕方なかったんだと思う。

傷ついている人は、人を傷つける。

この本を読んでいて気持ちが重くなるのは、重いケースが元になっていて、小児精神科でとても傷ついた子供たちを見てきているから仕方ないんだと思う。

 

私の脳は傷ついていたと思う。きちんと修復できているのかはわからない。ちょっといびつな感じになってるかも。

でも、私くらいの、程度の、傷だったら、この位までは癒せるというか、何とかなるんだなと思う。

音楽、NY、キューバ、今の仕事。命を頂き、育ててくれたから色んな事を考え、色んな事を経験できた。生まれてきて本当に良かったと思う。ほーんと、死ななくてよかった。

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今日の写真は。私。

こういう写真を見ていると、母も父も私を愛したかったんだと思うよ。だけど、やり方が解らなかったんだよ。それだけなんだよ。色んな事を経験出来て、色んな人に会えて、生まれてきてよかったと本当に思うよ。戦いながら、しぶとく生きてよかった。