前の記事で、最近オーラの泉を改めて見ているという中で、時々神社の話が出てくるの。

あ・・・。行ってないよな。神社。ここに越してきてからも、鎮守さまにごあいさつにも行ってない。

罰当たりちっくな、わたし。

オーラの泉あたりから、パワースポットブームで神社に行く人がすごく増えた。ブームになるとなんかいろいろ独り歩きして、スピ系の人たちがいろいろ語ったり、妙に自分は特別護られてるとか力があるみたいなのにも使われる。

子供の頃は、普通にお正月とか、七五三とか、お祭りとかで神社に行ってた。その程度。

父がああいう仕事を始めてからは、かなり神社に行った。それは我が家では最も大切な事だった。

私が高校生の頃から父が元気だった時までは毎年3月の最後の週末はマイクロバス3台位で出雲方面にお詣りに行ってた。マジで嫌だった。この時期は絶対に他の予定は入れられないし、バイトをしていても休んで行かされてた。ついでに、信者さんたちと一緒だから多少の気を遣う。私はこう見えてかなりの人見知りな部分もあり「先生の娘さん」的な扱いを受けるのが苦手で、父にもある程度ちゃんとするように言われていたので、いつもウォークマンとサングラスでバスでは寝てた。耳栓して(音楽を聴く)寝てたら、話しかけられないし、話さなければ変な事も言わないでしょ。

最も嫌だったのが、殆ど毎年、私の誕生日と被るという事だった。

両親もきょうだいも、そのイベントで大変なので、誰も私の誕生日を祝ってもくれない。信者さんに気を遣わせたら行けないので、誕生日の事は言ってはいけなかった。宴会を抜け出して泣くこともあった。

 

私がニューヨークに住んでからも、ほぼ年に一度日本に帰省し、ご縁のある神社にごあいさつに行く。父がその時に必要なお参り先をリストにする。

私は福岡の北九州市でしょ。よく「行かされてた」のは、島根や鳥取。高千穂はかなり不便で死にそうな思い出日帰りをした。大分の宇佐神宮、宮島の厳島神社、佐賀の祐徳稲荷とかは普通に一日仕事。時々伊勢神宮という指令(父なのかお神様なのかはよく解らんが)も。これはかなり大変よ。

神社ではお祓いや祈願もするので、時間に余裕をもって、お金もかかる。

NYでアルバイトをしながら、なんとかギリギリで暮らしている私が、日本行のチケットと、神社に行く費用を捻出する。ま、不思議なもので、なんとか回ってた。

友達との予定よりも、お宮参りが優先。親戚のおばさん叔父さんたちにあいさつに行け!と言われて、面倒だけど行かなきゃ、おやじ怒るし、みたいな感じだった。

 

毎月1日は、鎮守さまにお詣りに行き、家にお祀りしているお神様のお供えとか、榊とか。NYに住んでいる時も神棚があって、尾頭付きの赤魚と、果物、野菜、お米、お塩、お酒などをお供えして祝詞をあげてた。父にやらされてた。

出雲の辺りのお宮参りは、本当に泣けた。島根は陸の孤島みたいなところで、交通手段があまりなく、家族に車を借りれなかったらレンタカーで、片道6時間位。夜に出発をして、寝落ちしそうになりながら長距離トラックに混じってドライブ。いくつも山を越える。

出雲参りの指令が来た時にはマジ泣ける。

お金もないので、熊野大社の駐車場では何度か寝た。無茶苦茶寒い。で、朝が来たらお祓いの申し込みをするのよ。一人で行くときもあるけど、酷すぎるので、弟とも行ったわ。

オーラの泉を見てて・・・。

江原さんとかの前に座ったら、沢山の神社が見えるとか、神様に御縁があるとか、見えちゃうのかなぁ・・・と、ふと思った。私がこの7年くらい殆どお宮参りをしてない事も。妙に罪悪感を感じてしまった。

私が神社に殆ど行かなくなったのは、パワースポットや神社ブームも嫌だけど、一番は、行くとお願い事をしてしまったり、ご縁を作るとまたごあいさつに行ったり、祈願しちゃったり。その後お礼参りに行ったりするのが大変だから。

きっと、お神様も祈願ばかりして、また来たら、お礼は言うけど祈願をする人って失礼だと思うかもでしょ。←どうだろね。

もう、都合よくお神様にお願いごとをしたくないで10年くらい前からは神社でお願いことを極力しない様に、ご挨拶とお礼という感じにするようにしてきたの。

ご挨拶参りと思いながらも、心のどこかで「お詣りをする事で守られ、導いてもらえ、願いをかなえやすくしてくれる」んじゃないかと、期待をしてしまってる気もするの。だって、お宮参りに行く事が、本当に、すごい労力なんだもの。で、心のどこかでそういう期待をしてお願い事をしてしまったであろう自分に気づいていて、お礼参りに行かなくちゃ、と、思いながら行けなくて、罪悪感を持ってしまう。そのループ。

でも、あと多分20年くらいで死ぬ。お宮参りも結構労力使うし、車も運転するし、お金もかかる。行けるのは60とか65歳位かもと。

こんだけ神社とご縁を作ってきた(ある意味頼ってきた)ので、死ぬまでには、これまでにご縁を持った神社にお礼参りに行きたいと思った。というか、行かなきゃなと。

50歳を回ってから、自分の人生が折り返しどころか、もうそんなに残ってないんだと思うようになった。

あと20年と言っても、40歳、45歳と、歳を重ねるに従って時間がたつのがすごく早いんです。なので、20年なんてあっという間なんだと思う。そろそろ終活の心準備始めてもいいかもと。

江原さんみたいに、見える人が見たら、私の不義理が見えるかもだし、私自身もなんか気持ちが悪い。

 

今回久々に神社の事を考えていると、父や母、弟や妹の顔が浮かぶの。お宮参りが家族との記憶や思い出の大きな部分を占めてるんだと気づいた。

誰も祝ってくれなくて、嫌で嫌でしょうがなかった出雲での誕生日。

家族と縁を切った私にとって、神社にお参りに行く事が家族との大切な思い出になってる。今世を終えるまでにちゃんと行っておきたい。これも終活なんですかね。

 

ここの鎮守さまの神社にも、先日(やっと)ご挨拶に行きました。

「ここに越して来ました。よろしくお願いいたします」と、ご挨拶だけです。

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写真は、八雲の熊野大社。父と妹。

22~23歳位じゃないかなぁ。

父、タクシーでよく乗車拒否をされていたそうです。ある日、車を停めて缶ジュースを買っていたら、車当てられて逃げられたそうです。帰ってきてすごく起こってるの。

(私)「そりゃ逃げるでしょ。人生終わったと思ったと思うよ」

(父)「俺はBMWぞ!ベンツじゃないんだ!」←ヤクザはベンツに乗るとか。

(私)「BMとかベンツとか、そんなん、解るか。とにかく逃げるよ。」

父は車が大好きで、車道楽の人でした。高級車をピカピカに磨き上げている人でした。