ひと月程前にNetflixを購読したのね。
時代が変わったなぁと実感した。
最近は結構有名な芸能人も、今更ながらユーチューバーを始めたりしてる。
こんなニュースを見た。
「10年以上尽くしたのに、まるで使い捨て」 テレビ朝日『報ステ』社外スタッフとの契約終了に、抗議の集会
最近はYoutubeで大手メディアのニュースを見る事が出来る。広告がちょろちょろ出る。
テレビはスポンサーによって成り立っている。
YoutubeはGoogle資本。
検索エンジンもGoogle。
広告ビジネスが日本国内で成り立たないというか。海外の企業が広告収入を大きく得る。
最近はプライベートでFacebookを殆どしなくなったが、この2~3年でタイムラインに流れてくる広告がすごく増えたと思う。Facebookは電通と提携しているらしい。
国内のテレビという媒体ではもう難しいのかもしれない。
出来るだけ楽天を使いたいと思っても、アマゾンが便利なのでアマゾンを使ってしまう。
時代がどんどん変わっていると感じる。
Netflixにはオリジナルの映画、ドラマ、ドキュメンタリーが多くあり、すごくよく出来ている。
俳優も、テーマもお金がすごくかかっているんだろうな、と感じる。
どんな仕組みで製作をしているだろう。Netflixはその権利を所有し、世界に配信する。
「テレビ」というのが昭和・平成の過去のメディアという感じがする。
結構有名な芸能人がYoutubeチャンネルを持ち、バックに芸能プロダクションがあったとしても個人に近い形で発信をしなくては生き残れない時代になってきているんじゃないかとも感じる。
お金の流れは確実にかなり変わっていて、若い頃の様に「日本経済」が強い時代は終わったと思うし、あんな時代は私が生きている間にはもうないと思う。
それが良いとか悪いとかではなく、そういう「時代があった」という事になるのだろう。ポルトガルもスペインも昔はすんごい時代があったように。
メディアというのは、私たちの価値観を育てる。というか、擦り込むというか。
なので、国内のテレビが衰退したり、国民がテレビを見なくなり、世界、特に西洋から発信されるメディアを見るという事は、これからより多様な情報が入って来て、価値観や常識はもっともっと加速して、変わるのだとも思う。
メディアや娯楽が少なかった時代は、大人も子供もみんな「北の宿から」や「津軽海峡冬景色」を歌って、こどもはみんなピンクレディーを踊って、「聖子派か明菜派」かと大きく二つに分けることは出来なくなった。
それぞれが自分の感性で好きなものを選び、それ以外の事はあまり知らなくなるので、共通の話題も見つけにくくなるのかもしれない。
自分が無い、というか、自分で考えないとか、自分の感覚を信じられない人たちは、多種多様の情報と選択肢の中で、自分よりちょっとでも信頼できそうな人たちがいう事に振り回されるのかもしれない。
私はテレビを持たなくなって15年位になる。結婚していた時もテレビが嫌いでほとんど見なかったので20年位テレビから離れてる。
SNSからも離れた。
社交も殆どしなくなった。
興味のある事はガツンと調べるけど、情報や様々な意見が溢れるからこそ情報の断捨離をしないと頭の中が忙しくてたまらない。
その分「自分との時間」が増えたと思う。
後悔が少ないように生きたい。
後悔しない選択をするには、最後に信じるのは「自分の感覚」なんじゃないかと。
ちゃんと意識をして、考えて、自分で選択した事は、それが失敗だったとしても、損をしたとしても「後悔が少ない」と私は思ってる。
隣の芝ばかりを見ていると、自分の庭にきれいな花が咲いていても雑草で見えないかもしれない。雑草で咲かないかもしれない。
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今日の写真はさ。
この前焙煎した珈琲。もう少し浅い方が好みだった。半失敗。またがんばろう。