1週間ほど前、友人が、「ネットとか見ていると、正しいさとか、正義の様なのを言ってるの、なんか嫌な気になるのよ」と。

西洋って、キリスト教とかの影響か、多分正義と悪というのがなんだかはっきりあるんだと思うの。正義を主張すると必ず悪が出来る。彼らは「正義」ってよく言うよね。私さ、別に宗教ってあまりないけど、自分は仏教徒なんだと思うんだ。そういうのが、根底にあって、どうしても西洋人の正義ってしっくりこない。

戦争の捕虜の事をやっていた時に、どうしても、どうしても、彼らの考え方が受け入れられなくて悩んだ時に、そう、私なりの答えを出したの。根底にある、考え方の基準の様なものが違うんじゃないかと。

「根を食べさせられた」とか言う人もいたの。

多分、ゴボウの事だろうなと。

その後、捕虜の人たちの生活に関する資料とかも目を通したけど、あの時代にこんなものを食べさせてもらえてたんだ、どこから調達してたの?といろいろ驚いたんだけど、彼らにしてみたらかなり酷い、貧相な食事だったんだと思う。だけど、日本の人たちはもっとひどい食生活だったんじゃないかと思うんだ。

彼らは、自分たちが日本によってひどい目にあわされた「被害者」だと日本政府に認めさせることで、自分たちの正当性、正義、その人の中の自尊心とかが護られるとかじゃないかと。もしかしたらそれはキリスト教的な考えが根底にあるからなんじゃないかと、私なりに考えたの。

私には、正義とかよく解らないし、それを立てると、日本が悪になる。

正義とか、正当性とかって、すんごく面倒な事だと思ったし、私の中では何か違うんだよ。それは、私が日本の仏教的ななにかを根底に持っているからじゃないかと。あと、被害者意識が強いと、正当性や正義を強く求めてしまう気がする。だけど、最後の最後に自分を納得させるのは、その人の根底にある、倫理や価値基準なんじゃないかと。それは宗教が影響している事は多いと思う。

まな板にゴボウを乗せるたびに、彼らが食べた「根」はこれなんだろうな、と、今でも思い出す。

 

インターネットで海外のニュースや情報が日本語になったものが昔よりすぐに流れてくるようになった。その中で自分の価値基準をしっかり持ってニュースや情報を消化しないとおかしなことになると思うの。

この10日くらいで、ネットのニュースを見ると嫌な気になってしまう自分がいた。多分、とても嫌なんだろう、ふとした時に嫌な気が起こって、いろいろ嫌になる。

何が嫌なのかと言うと、黒人の人が白人の警察官に殺された、という事件で起こっているデモや暴動のニュースと、いろいろな人たちのコメントなど。

どっかのニュースで集会に参加している人(黒人)にインタビューしてたんだけど、平等であるべきだと言っていた。

そもそも、平等なんてあるのだろうか。

家族でも、兄弟でも、不平等はいっぱい。出来るだけ平等にと思っても、なかなか。

キューバは人種差別がない国だといわれてる。

社会的には殆どないと思う。肌の白い人も黒い人も、茶色い人も、平等なんだろうとは思う。だけど、個人になると、人々の中では、差別というか、壁というか、嫌っている人たちは結構いる。

肌の黒い友達の写真を見せると、あからさまに嫌ったり、気をつけなさいという人とか。まぁまぁ居る。

私は、あまり肌の色での差別はしないと思うけど、ちょっと嫌だなぁといった出来事が肌が白い人より、黒い人の方が多かったというか、嫌だなぁとか、騙したりのやり方とか、質とかがちょっと、私の常識から逸脱というか、完全別次元というか。そういうのがあった、な。

そういう事がいくつか続いたり、あまりにも私の常識から離れた酷い事をされてしまうという経験がいくつかあった後、肌の黒い人に警戒心を持ってしまうようになった。ちょっとしたトラウマというか、一時期、黒い肌の女性の肌を見ると、ぞっとしてしまってた。

もちろん、そうじゃない、私を騙したりしない、黒い肌の人もいる。

肌の黒い人に対して、警戒しないかというと、私はする方だと思う。

この人は大丈夫、と、ほんとに思えるまで、警戒は解けない。そうなってしまった。

それは差別なのかなぁ・・・と、考えたり。

 

私は、白人のジャズが好きだった。白人のバンドで歌ってた。

だけど、私をとても可愛がってくれて、私が慕ったジャズミュージシャン、3人はみんな黒人なの。今でも彼らをとても大切に思ってる。

そういえば、白人のバンドにいた時、私に挨拶もしてくれないミュージシャンが一人いた。会う度に不思議だったけど、もしかして、これが人種差別なのかなぁとか、思った事があった。

あと、なんでか忘れもしないけど、9丁目を歩いていた時に、黒人の3人の女の子たちになんか言われた。一緒にいた友達が、人種差別的な馬鹿にした事を言っていたといってすごく怒っていたのを覚えてる。

1990年代のニューヨークの事。

2015年ごろにまたニューヨークに何度か行くようになって、すごく驚いたのが、人種の違うカップルがとても増えていて、それが当たり前のようになっていた事。

1990年代初期のニューヨークでは、それは「あれ?」と感じさせて、ちょっと見てしまうような光景だった。

映画を見ていても、近年の映画は登場人物の人種がバラエティに富んでいるというか、うまく振り分けているというか。

1990年代にニューヨークにいた頃に、ミュージカルとかでキャスティングにアジア人を入れないといけないから枠に入れた、と言っていた知り合いがいた。だから、そういうのがもっと徹底されたのかもしれない。

とはいえ、この役が黒人?と思ってしまう、人間関係的になんだかちょっと現実っぽくないキャスティングも目に付く。ある意味、平等を目指しているのかもしれないけど、不自然にも感じる。無理やりバランスを取っている感じというか。

数日前に「風と共に去りぬ」の配信を止めるというニュースを見た。あんな、名作な大作を。そんな事やってたら、配信を止めなくちゃいけない映画はいっぱいだと思う。

インタビューで「平等」と言っていたけど、平等になるという事はそれぞれに配慮されているものも無くなるんだよね。

映画のキャスティングでそういうバランスを取らないで良くなるんじゃないのか。でも、そうするとそれはまた「不平等」という声があっちこっちから上がるのだと思う。

学校とかでも、白人枠とか、黒人枠とかの数があると聞く。

一見平等に見える様に、裏では色々な無理をしている気がする。

社会的に「平等」という感じになったとしても、個人個人での嫌悪とかは消えないと思う。キューバで感じた。

平等がいいのなら、社会主義な暮らしになってしまったら、それはそれで、次は「自由」を求めて声を大きく上げる様になると思う。

 

そういえば、向かいの棟に中国人が、多分だけど、2軒越してきた。外で大きな大きな声でしゃべったりで、ん、っもー、勘弁してくれよ!と思った。

「あああ、中国人ってなんで声があんなにデカいの?引っ越してきてほしくないわ~」と思いました。

あの中国人がたまたま声が大きいのではなく、日本人に比べ声が大きい、そういう習慣だったり、周りに配慮しない、という人の割合が多いのだと思うの。

で、あの「中国人」と言ってしまう。そうなると、人種差別なのでしょうか。

私も外国では「あの日本人」と言われます。それが目に見える特徴であり、育った環境や習慣が違うがゆえに、違ってしまっているので、仕方がないのですが、郷に入っては郷に従うように、私なりに努力をします。で、日本人が少ない国では、私の行動というのが彼らにとってひとつの日本人の経験になり、イメージを作って行く。

 

同じ人種内で、嫌悪を持ったりして避けたとしてもそんなに問題にはならないかもだけど、アメリカでは「人種差別」となるととてもとてもセンシティブな問題になってしまう。

それはアメリカでの問題なんだと思うけど、日本でもデモがあったとニュースになっていた。

ちゃんと、責任もって、自分の子供をしつけたり、教育をするべきだと思うけど、それすら出来ない、無理な事だと理由づける。そういわれると何も言えない。

だけど、セックスはするんだよ、ね。

貧しいから。家庭が崩壊しているから、非行やドラッグ、犯罪などが横行してしまう、とか言うけど、そんな中でもしっかり考えて、真面目に生きている人もいる。ほんとにそういう人は居る。

私の父は、私が小さい頃、どんな家の子だとかよく聞かれた。厳しかったと思う。友達によって遊び方とか、関わる世界が変わって来るんだと今ならわかる。

ま、スピリチュアル的に言えば、その家族、家、場所を自分の魂が選んだらしい。だから、仕方ないんだけど、人は、弱い人ほど、往々にして誰かや何かのせいにしてしまう。

時々思うんだ。「人種」というのを盾に被害者意識で不平不満を言っているんじゃないかと。それを自分たちの権利のように。

 

多くの場合、自分たちがやったセックスによって子供を授かる。(レイプの場合もあるかもなので、多くの場合)

社会に、国に訴える以前に、自分や自分の子供、家族に対しての責任を考えて、生き方を考えるとか。なんだけど、どうして人(動物)はセックスという快楽によって人の命を繋ぐのだろうね(きっとなんか大きな意味があるんだろうね)。

何にも考えずにセックスする人って、とっても多いんだよ。価値観や考え方、習慣、常識の違いもお国柄や人種で様々だったりする。

 

アメリカは、「正義」「自由」という言葉がやたら好きというか。あと、権利とか。三つ巴というかね。

でも、「正義」「自由」を盾にしている時ほど、なんかおかしいのよ。偏ってしまっていたり、「正義」「自由」という言葉を利用しているというか。

今回のデモとか暴動、メディアの取り上げ方を見ていて、ちょっとおかしいな、と感じる。大統領選挙に影響させるのかなぁとか。

民衆が、群衆が騒ぎ立てる時、それをメディアが大きく取り上げる時、なんか妙な不自然さを感じるの。アラブの春だっけか、エジプトで始まったあれも仕掛けられたものだと、何年も経ってからいわれてる。

この前、ベルサイユのばら見てたでしょ。フランス革命に持っていくために、オーストリア女のアントワネットは標的に利用されたとかね、今は言われてるみたい。

多くの人が、群衆がなにか騒いでいる時は、ちょっとおかしいかも、と思うのよ。特に、メディアが異様に取り上げている時は。

私の中に、はっきりした正義とか悪とか、無いというか、そういうものを強く訴える人たちを人として信頼してないのだと思う。そういう風に考えてしまう、自分が必ず正しいと思っている、思い込んでいる人たちが嫌なんだと思う。

で、いろいろ嫌になって、1週間くらい、なーんにもしないで、ゴロゴロしてた。アニメ見たりね。

そういえば、あの亡くなった黒人の人、ポルノ映画に出てると。英語で調べたら、同じ顔の人がポルノサイトの動画に上がっていた。彼の動画すごくNastyというか、下品だし、嫌だわよ。

アメリカのどっかの政治家が、「彼はポルノ俳優だ」だとかつぶやいたら、「ポルノ俳優だとしてもあんな殺され方をしていいのか!」とか、そういうヒステリックなコメントが並んでいた。

前科もいろいろあるとかないとか。私の近しい知り合いじゃないので、本当の事は私は知りません。

 

多くの人がBlack Lives Matterと掲げているけど。

Blackだろうが、Whiteだろうが、Yellow だろうが、Brownだろうが、命は大切だというだろうけど、本当に命が大切ならアメリカは戦争なんてしないよ。

アメリカが正当化して戦争に持っていくときに「正義」という言葉を使う。「正義」という言葉を利用する。

「正義」はオートマティックに誰かを「悪」にする。

 

多くの人が、正義や権利を掲げるムーブメントが、私は好きじゃないみたい。

アメリカの価値観や問題なので、中途半端にこのムーブメントに加担しない方がいいとは思うけど、日本でもデモをやったというので、気分が更に嫌な感じになったり。

で、風と共に去りぬが配信停止になるとか、すごく嫌な気分になってしまった。

そういう時は、アニメを見たりするのがいいわ。

 

という事で、次は何のアニメを見ようかと。

サイボーグ009見ると思わ💛正義物だねw

 

昭和元禄落語心中というアニメ、すごく良かったよ。超おススメです。

今日の写真は団地の紫陽花。

私のバジルと大葉は虫に激しく食われまくりで、アロマじゃダメだったので、網をかけました。あと土の中にもすでに虫がいるようなので、ニームオイルをかけています。ぽつぽつ食われながらも、なんとか育ってきました。

ベランダのバジルの虫食いは、ペパーミント水で大丈夫になりました。