昨日、ちょっと人に会ってて、アロマとは関係ない人で、はじめて会う人で、「色々な国を見て来て、日本をどう思いますか」と訊かれた。
日本をどう思うか…と考えながら、海外での経験が今の私の中でどういう事だったのかと考えると、「自分を見つける旅」だったようにも思う。
「自分探しの旅」とかいう、旅、とか、放浪とか、そういう風に言う人が時々いる。。
でも、「「自分探しの旅」なんてやっても仕方がない」という人たちもいる。結局どこに行っても同じというか、外に自分は無く、内側にあるのだから。
私も、「自分探し」という感じの旅は意味のないものなのだと、ちょっと思ってた。
旅は結構した。
それが「自分探しの旅」だったのかというと、そういうつもりはなかった。
でも、結果として「自分探しの旅」というか、「自分を知る」旅だったとは思う。
いろいろな国に行くと、習慣の違いは勿論、自分の考えやモラルで理解する事が出来ないとか、どうしても受け入れられない事があったりする。
「同じ人間だから」と思っても違う事、理解が難しい事がよくあった。
なんでだろうと、私はよく悩んだ。
そこで行きつくところが、相手の国の歴史や宗教だったりする。
また、自分の国(日本)の歴史や宗教を改めて知ろうとする。
そして、「あ、だから違うんだ」とか理解する。
それと同時に、日本という歴史や仏教、神道、儒教、武士道的な教えが自分の根底にある事を知り、自分が「日本人」であることを思い知る。
旅先で若い子、留学中の学生たちに会ったりすると、「こっちの考えを理解してもらえないんです」という事を聞いた事もある。
多分、世界的に考えると、日本という国が特異な国で、外国人が日本や日本人を理解することはとてもとても難しいと思う。だから、相手の国の歴史や宗教を知る方が、もしかしたらまだ簡単なのかもしれない。
私は、中学と高校がキリスト教(プロテスタント)の学校だったので、聖書もある程度触れていたので、海外での暮らし、特にアメリカではそれはとても役に立ったと思う。
違う国の人を理解するとき、その国で違和感を覚えて仕方がない時に、歴史と宗教はとても役に立つ。
政治や社会を知ることも役に立つかもしれないが、その政治や社会を作っている人たちの根底にあるのは歴史と宗教なんじゃないかと、私は思う。
私の場合は、好奇心と・・・日本が嫌というか、苦しくて海外に飛び出した、を繰り返した人。逃げだしたのね。
でも、行きついたところは、自分は日本人だという事を思い知り、日本では変わり者と言われる私だけど、しっかり日本の歴史と宗教観とか思想の様なものが根底にあり、それは自分の中で変える事が出来ない、変えたくない事だったと知ったの。
私は、音楽をきっかけに太平洋戦争頃から戦後にかけての歴史に関わる活動やプロジェクトをやっていたのね。ここは、私たち世代にはとてもキーになる、大きな変換機だったのだと思う。
今の若い子たち、平成以降の生まれの人達はまたちがうかもだけど、親世代がどうして日本に対してそういう考えを持っているのかとかで、疑問がぬぐえない場合は、この時代の歴史を、さらっとではなく、しっかり掘り下げていくと親の考え方、どうしてそういう考えを持っているのかのカギがあるかもしれない。
「自分を探す」というのは・・・コツがあるな。
で、それはふとしたところにあったりする。外を探しても見つからない。
だけど、外や違うものと触れる事で、自分の中に違和感を感じ、結果として自分を知ることに繋がっていく。私はそんな感じだった。
自分の中で違和感を覚える時、それは、自分が何者であるかという事のサインだったりする。
大人たちの言う「自分探しの旅なんて意味が無いよ」という言葉は無視した方がいいと思う。
というか、大人たちが言う言葉はあまりあてにしない方がいい。
それよりも、たいして何も言わず、失敗を見守ってくれる大人に出会えた方がいいかもしれない。
人が教えてくれた事なんて、たいして役に立たないというか。結局人は「経験した事」以外は、自分の心や魂に深く刻まれない。薄っぺらい人になる気がする。
必ず人は失敗するし、挫折もあると思う。
失敗や挫折という経験。そこで、考え、悩み、落ち込み、気づく事がその後の人生、特に失敗をしてから10年とか20年が経った時にその人の中の「人としての」深さや、強さになっていると思う。
成功するとか、楽な道とか、近道とかより、自分の足で一歩一歩歩んでいく方が、結果として、確実に自分の中の、人としての筋力やしなやかさを作って行ける気がする。
だから、楽な道とか、近道を教えてくれる、教えてあげて「親切な大人ぶる」大人のいう事は、「参考程度」にとどめて、自分で考え、悩みながら、泣きながら、笑いながら、一歩一歩その人らしく生きて行った方が。私はいいなぁとか思う。
大人なんてね、所詮、歳食ってるだけの幼稚な人も多いからね。
沢山失敗して、沢山泣いて、たくさん悩んで、沢山考えて、沢山経験して、違和感とはしっかり向き合い、その過程で自分を掘り下げ、その向こうに自分が見えてくるんじゃないかと。
色んな国への旅は、特に海外に住んで、その国の人たちの中に入って見たりすると、自分が「日本人」と、思い知るかもしれない。
で、私たちは「日本人」という基盤があって、自分が出来ていると、気付くと思う。多分ね。
これは、日本の外で揉まれないとなかなか気づけない事かも。
その時に、歴史と宗教を考えてみるといいと思う。
深く、深く、自分を掘り下げて、自分を見つめて、自分を見つけてください。
私のブログの読者はだいたい40代以上だから、あまり役に立たないかもだけど、子供たちがそんな旅に出ようとしたとき、こういう考えがあると思いだしてください。
あと、海外は日本より危険が多い。日本の当たり前は通用しない。安全や道徳も。
自分が弱い、流されやすい人は、危険に巻き込まれる可能性も高くなると思う。変な人について行ったり、変な話に巻き込まれたりしやすいと思う。ドラッグとかやってる人も多いしね(日本人旅行者でも)。
命を無くさないとか、取り返しが付かないこと以外、スリに遭うとか、騙されるとか、病気するとか、ケガするとかは「経験」だと思う。
とはいえ、コロナで1~2年は海外への旅も出来ないね。
ワクチンを接種できた人が、ワクチン接種が進んだ国のエリアへの渡航とかかから徐々にとなるんじゃないかと思います。
「ワクチンなんて受けません」という人いるけど、自分の安全の為だけではなく、周りの人への安全の為でもあるのだと思う。
そういえば、昔は、途上国とか行くときは病院行ってワクチン打って行ってたよ。私もいくつか打った。破傷風とか何とか肝炎とか、色々。
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今日の写真は、インドのガンジス川。
外から何かを得ようと、見つけようと旅をしても、得たつもりで、あまり得てなくて、結局自分が見つかったのは、これから20年近く後のキューバだったと思う。