私は、生まれ育ったこの街が好きじゃない。
時々思う。
どうして、こんなところに戻ってきたのだろう・・・。
子供の頃から、ここでは嫌な事が多かった。
好きじゃないものを、無理に好きになる必要はない。
でも、嫌いだと思うと、好きな部分が顔を出す。
嫌な事は多かったけど、楽しい事もいろいろあった。
いろんなところに行き、いろんな人に会い、いろんな事を知ると、私に起こったことは大したことじゃないと気づく。特別にひどい事でもないし、私が特別なわけじゃない。
でも、私の人生の主人公は私だから、私は、私の中で特別で、誰とも違う。
誰とも違うはずの自分が持っているものを数えて、感謝して生きる。
今は、そう生きられている気がする。
この街は好きじゃないけど、世界中どこで暮らしても、私は私で、ここに居ても私は私。
日本だから、日本人だから持てるもの、与えられているものに感謝する。安全や衛生、便利な暮らし。
50歳を過ぎたからってどうなるの?なんなの?なんだけど、見える景色、価値観、生き方や暮らし方が確実に変わった気がする。
新しい山を登るより、今までの道のりを振り返る、とか、受け入れる。
受け入れて、納得して、自分の人生を整理する。
そういう事をしてもいい年齢に踏み入れて来ている、そんな気がする。
先日、ママの家にお泊りに行った。
旦那さんが、ゴルフ旅行でいないから、来るように、(旦那さんから)ちょっとプレッシャーかけられた。
ママは、昔、泥棒が入りかけて怖い経験をしたので、私が行くと、ママも、旦那さんも、娘さんたちも、安心する。
翌日、朝ごはん食べながら、地元(門司)の神社の海洋葬の話になった。
和布刈神社といって、関門海峡の門司側にある神社。源平合戦の舞台になったあたりで、本州側には赤間神宮というのがあって、そこに安徳天皇の御陵がある。
子供の頃にいつも見ていた海峡。
海は好きだ。
そっか、ここに流せば、平家と一緒に海の底で眠れるのか。なんか、浪漫あるなぁ、と。
お天気が良かったので、ママとバスに乗って行ってみた。
神社の前は流れが速いので巌流島(宮本武蔵と佐々木小次郎の対決の島)のあたりで散骨をするそうだ。
私が死んだら、付き合いが無くても、憎み合っていたとしても、きょうだい、もしくは姪たちに連絡が行くことになる。それは日本の制度で避けられないようだ。
家族との縁が切れてからの7年間、自分の遺骨をどうするか考えてた。
この海なら、この場所なら、いいんじゃないかと、思った。
整理や後始末をしやすくしておくことは自由勝手に生きた私の責任だと思う。
神社にエンディングノートがあったので徐々に作っておこうかと。
終活にはちょっと早すぎる気もするけど、この神社とこの海がいいと、思う。
いつ何があるか解らないんだから、早すぎる事もないのかもとも思う。
もう少し考えてみて、生前申し込みをしておこうと思ってる。
ママ曰く、こういう事を、もう、決めておくと、あとは気が楽になるらしい。
自分の人生を納得して、受け入れて、想いや、モノ、出来る限り何も残さなくていい自分で死ねたらいいな、と、思う。
そういう自分になれるように、一歩一歩山を下りながら生きていこう。