あけましておめでとうございます。

新年そうそう。何をしていたかというと。

家族もいませんし、普段通り、日々の日課をもくもくとこなしてみたりしていました。今年も一年、昨年よりちゃんともくもくと日々の日課をこなして生きていけたらという、一年の計は元旦にありを願っての行動です。

お正月ムードもなく、ちょっと寂しそうですが、一人というのも悪くなく、自分のペースで暮らすのも、今の時代だから可能なのだと、勧められるままに、アルゴリズムに支配されて出てくるある動画を見て気づきました。

1968年に南米ブラジル(パラグアイとアルゼンチンも一部あり)に移民した人たちをひとりのディレクターが10年ごとに、50年追ったドキュメンタリーで、そのディレクターも82歳だっけかになっています。

長いですが、見る価値のあるドキュメンタリーだと思う。

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移民したのが20歳だとしたら、70歳になっていて、その人の人生を10年ごとに記録したようなもので、色々な人生があり、また異国の地に移り住んだ人たちの事情や気持ち、時代の変化を見ることが出来ました。

1968年に船に乗って移住するのですが、制作者側がその船に同乗することでこのドキュメンタリーが始まります。

まず驚いたことは、私が生まれた頃にはまだこうやって船で「移民」をするという事が、政府主導であったという事でした。

ブラジルへの政府主導の移民は、1908年に始まったみたいです。Wiki参照

もともとは、1888年に奴隷制度廃止で、その後はヨーロッパから労働を得ていたけど、まぁまぁ過酷でヨーロッパの人たちがそういう仕事をしたくなくて、働き手が必要で、日本人の移民政策が進みだしたようです。

最近、よく思うのが、日本は、所詮、欧米の、アメリカやイギリス、などから見たら、遅れて進んでいる国なんだろうなと。戦争で負けたというのもメンタリティにすごく根深く、どうも、欧米の文化や暮らしを追っかけているとか、今もまだ憧れのようなものを持っているように感じます(私たちから上の世代は確実にこれが強くあった)。

私たちは、何をどうしたのか、1980年代以降に妙に奢った感があって、いや、1980年代以降じゃなく、祖父の世代も「日本は特別」感を持っていたと感じます。

まぁ、それはちょっと置いておいて。

日本って、よくよく冷静に考えると、そんなに先進じゃなく、後進なんじゃないかと。

数年前に、日本の60年くらいだっけかの、前の動画を見たら、海外に行くのにパスポートを取る事も難しかったようだった。

キューバと変わらないと感じました。

その頃だっけかの、ごみ収集を動画で見ていたら、これもキューバと変わらないと感じました。

すっかり、先進国になっていたつもりですが、ほんの50~60年の間にいろいろな事が変わって進んだだけなんだとも感じました。

10数年前、旅先での韓国人を見ていると、30年前の日本人に似てるなぁと感じていました。でもね、30年前はバブル崩壊する前は、日本の方が断然進んでる感がありました。今では韓国の方が最低賃金が高いらしいです。

進んでるとか、遅れてるとか、って、長い目で見たら、そんな程度なのかもしれませんが、日本は、奴隷制度が廃止になって、ヨーロッパの多分白人たちがやりたがらない仕事を振られるような立ち位置の国だったのだと気づきました。

で、移民政策は1968年にもまだあった。多分この頃に終わったのだと思う。

このドキュメンタリーの中で、太平洋戦争が終わって満州や南方からの引き上げの人たち、その後のベイビーブームで人口が増えたのも移民政策の必然性につながったというような事を言っていました。

今は、人口減少で困っていますが、増えすぎても、減りすぎても困るんですね。

1968年の移民船の乗船者を50年追う中で、日本に帰っていく人や、亡くなる人、移民先で家族が増えていく人も多く居ました。

ブラジルに住む人で拳銃を抱いて寝るオジサンがいました。家には犬がいっぱいいて、犬が吠えると、拳銃を抱いて寝るそうです。これは衝撃というか、いろいろ気づきがありました。

数年前に、パラグアイに行ったときに、ちらっと、ブラジルに行きました。国境近くに住むお世話になった家の方が病院に行くのに、ついていきました。国境を越えてブラジルの病院でした。車の中から見ると、結構多くの家が、塀の上に電圧線を張っていました。パラグアイに戻って(国境の近く)、散歩するときに意識してみてみると、電圧線を張った家がポツポツですがありました。

パラグアイでは強盗に殺害されたりした日系人の話もいくつか聞きました。

で、なにに気づいたかというと、日本では、私のように、一人で暮らす、一人で生きている人が増えています。孤独死とかも社会問題になっています。

日本には「お互い様」という言葉がありますが、「迷惑をかけたくない」という気持ちが強い国民だと思います。「お互い様」はもうあまり通用しなくなってきている気もします。

拳銃を抱いて寝るオジサンの家の犬は、番犬というのですよね。犬って、昔は、そういう「役割」があったのだと、今更思い出しました。

子供の頃は、番犬が玄関先に居た家もよくありました。今はかなり減りましたよね。多分、犬が夜とかに吠えていたら、「迷惑」になるのだと思いますし、番犬よりもALSOKとかになったのだと思います。そういえば、ピアノも「迷惑」なものになり、防音室がないと難しくなりました。

犬は、番犬としてではなく、ペットとしての需要が多くなりました。

こういった場所では、家族が増えるという事は、生き抜くために「必要」なコミュニティを作る事でもあったのかもしれません。言い換えれば、日本は、そういうコミュニティが無くても、生きていける生活スタイルになって行っています。

私がキューバに居た頃は、インターネットを家で使うことは出来ませんでした。

テレビ・ラジオ・新聞・電話。ご近所さんやお友達、家族などとコミュニケーションを取らないと、生きていけないんです。

停電が起こったら、近所に様子をきく。水が無くならないように協力しながら節水をする。次回の給水はいつごろだとか、ご近所さんにきき、笑いながら、困りながら乗り越えていました。

便利さだけではなく、危険が近くにあったり、安全じゃない場所では、一人で生きる事は難しいのだと思います。

便利になりすぎると、危険が無いと、暮らすにあたって、人とのかかわりが、必要でなくなるのだと思います。

出来れば「迷惑をかけたくない」という気持ちが強い日本人は、どんどんそういう方向に行っているのかもしれません。それが良いとか悪いとかじゃなく、時代と民族性でそういう暮らしが出来るようになったのだと思います。

孤独死が「問題」だとしたら、その問題を解決するためにいろいろと進化というか、変化していくのでしょう。それは、家族を作るという方向よりも、テクノロジーを使って解決させていくのだとも感じます。

私がこうして、ひとりで、気楽に暮らせている事は、今の時代だから出来る事なのだと思います。

でも、それがいい事なのか、悪い事なのかは、解りません。

それが、今の時代の日本であり、これからの近未来には、そういう人がもっと増えるのだとも思います。

そういえば、あのドキュメンタリーの中で、交通事故で亡くなった人たちも何人かいました。パラグアイに行ったとき、街中の車怖かったです。番組の中でも誰かが言っていたと思うのですが、日本みたいにしっかりした教習なんてないんです。練習したらとれるみたい。結構適当みたいです。ちなみに、わたしはニューヨーク州の自動車免許を取りましたが、試験に受かればいいだけです。教習のようなものってあっても必須じゃないと思う。

そういう意味でも危険ですね。多分、駐車していても盗難とかで危険だと思います。

あとね、番組の中で、ご主人を亡くした方で、日本で暮らしている女性が、自分だけが美味しいお水を飲めて申訳がないと泣いていました。それが、とても印象的でした。

いや、他にもいろいろ、ほんとに、印象的で、考える事がいろいろありました。

今の時代の日本だから、一人で暮らせるのだと思うし、そうしたい人が少なくないかもしれないこの国では、これからより一層、そういう人たちが暮らしやすく出来るインフラのようなものが整い、孤立した人たちが増えていくのかもしれません。

いいとか、わるいじゃなくて、そういう時代なだけなのだと思います。

 

今年もよろしくお願いします。