何をしているわけでもないのに、毎日が過ぎていく。

ネットのニュースが次から次に、何かの情報を流す。気になった言葉や事柄があると、検索をする。そこからまたいろいろと広がる。とっ散らかる。

YouTubeも次から次へと動画を勧めてくる。

サブスク(subscription)に追われてる感もある。年明けからクーリエを購読してみたけど、ゆっくり読めてない。

アマゾンプライムは安くて便利で、結構使える。で、プライムビデオに追われる。そういえば、Kindle用の端末を買い替えた際にUnlimitedが3か月特典でついてきたんだけど、ゆっくり読書もできてない。

とりあえず、Spotifyの購読を停止した。アマゾンプライムミュージックで十分かもと。

持つのではなく、サブスクリプションという、「購読」が当たり前になった。ドラマも音楽も、世界中の作品が簡単に見れる。

サブスクリプションをしなくても、YouTubeで世界中のいろんな過去の番組も見れる。選択肢が多すぎて、欲張るし、とっ散らかる。

退屈をすることはない。忙しい。

そう。忙しい。みんな、忙しい。

去年見たドラマで、すごく気に入ったのが、イギリスの「コールザミッドワイフ」という助産婦のドラマ。

友達に勧めたら、ドはまりしてくれたドラマ。

1950年代~1960年代のロンドンの貧困地区での助産婦とシスター(修道女)たちの物語。日本ではシーズン9までが見れる(イギリスでは10が終わったようです)。私たち世代にとっては、子供のころに聞いたことがある病や感染症が出てきて、それがどうして起きたのかなどが解るのも興味深かいし、何よりも人々のふれ合いというかそういうのが、いいんですよ。

携帯もないし、インターネットも勿論ない。娯楽は限られているし、テレビや映画、地域でのイベントなども、「そこに向かっていく」とか、そこに合わせるとか。う~ん、何ていうんだろう、、、今のように「溢れてない」の。

ドラマを見ていて、キューバでの日々を思い出しました。

私が居た頃は、家でインターネットはない。必要な時だけメールをダウンロードする(これも途中からできるようになった)。仕事はPCを持ってWifiスポットに行く。友達の家に行くと、一見無駄なような時間がダラダラ流れる。友達が料理をしているキッチンに座り、無駄なような事を話したり。何をしているわけでもない。だから、顔や様子の変化を互いに感じ取って、気遣いあえるのかもしれない。そういえば、目の優しさとかそういうのをよく覚えてる。

日々暮らしてる中で、みんな暇だったわけじゃない。だけど、気が散るものは少なかったかも。物も、情報も、娯楽も溢れてないしね。

キューバに行く前は、誰かと会っていても、SNSのお知らせやメールが鳴る。鳴らないとちょっと寂しかったりした。SNSで忙しいと、誰かといても、意識がそこに無かったりする。

キューバに行ってから、スマホをあまり触らなくなった。なれた。

今はSNSも殆どしないので、お知らせはかなり減ったんだけど、みんなのスマホとかよく鳴る。ある友達はもうすぐ73歳、この世代の人ですらこうなのだから、私たちの世代、若い人たち、みんな、みんな、それぞれに忙しいんだと思うな。

SNSをやらなくなっても、いろんな情報や娯楽で忙しい。

時代の変化が速いので、遅れないようにと、どんどん情報を食べる。むさぼっているのかもしれない。

誰かと過ごす中での、無駄なような、余裕や隙間が無くなった。

目の前の誰かや何かに集中しにくくなったのかもしれないし、細切れな感じというか、無駄なほどにじっくり誰かと時間を過ごすことも少なくなってきた気がする。

みんな忙しそうだ。

私もなんだか、忙しい。

音楽も、いくらでもいろいろなものが聴けるから、一枚のアルバムを何度も何度も抱きしめるように聴かなくなった。

情報も、音楽も、娯楽も。溢れてる。溢れていることが当たり前になると、有難みが減る気がする。

忙しいと、心を亡くす。

時々、キューバの日々が懐かしい。

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今日の写真は、ウォーキングの時に寄る公園。