トーチソング (torch song) は、感傷的なラブ・ソングで、典型的には、歌い手が、報われない片思いの恋、失恋を嘆くもので、恋人が振り向いてくれないとか、去ってしまうとか、恋愛のあやが関係に影響するとかいったテーマが取り上げられる。この表現は、「to carry a torch for someone」(誰かのために松明を運ぶ)という、報われない愛の明かりを灯し続けることを意味することわざに由来している。
Wikiに解りやすい説明がありました。
さて。わたしは、歌手です。お金が稼げるとか、稼ぐとか、そういう問題じゃなく、歌うことなくして私の人生はない。という感じです。とはいえ、厄介な人で「歌って」と人に言われても、ましてやお金でそういう状況になると、心が拒否したり、扉を閉めたりして歌えないという非常に面倒な歌手でした。今も。
私が一番好きなタイプの歌は、せつないラブソング。
私がどんな歌手かというと「トーチシンガー」というのが自分で一番しっくりします。
20代のころニューヨークで何度かレコーディングしたスタジオのエンジニア(ショーン)は、ある日、日本のテレビ局の取材で「Seinaはどんな歌手ですか」と訊かれて、嬉しそうに「彼女はトーチシンガーさ」と言ってくれた。その時に私はトーチシンガーでいいんだ(自分の言語や文化の歌じゃないのでいつも不安だったの)。そう呼ばれた事がすごく嬉しかった。
ちなみにテレビ局の人は「トーチシンガー」といわれて、よく解らなかったみたいでした。
ご当地ソングを歌う歌手と思った人もいました。
「歌うことなくして自分の人生がない」というと、大げさにも感じるかもだけど、長くなるのでこれはまた別の機会に気が向いたら書きます。
ピアノを始めて、時々友達に聞かせたり。その時に、わたし、結構、明るくて、面白い感じでしょ(←自分で言うなだけどw)、なんだけど暗いというか、悲しいとか、切ない歌ばかりを歌うんです。「ごめんね、暗い歌ばっかりで」と冗談っぽく言いながら。
トーチシンガーなのでそういう歌が得意だし、好きだし、歌いやすいんです。
今も昔も、切ない歌が好き。切なさがあるから、歌が好きなのかもとも思う。
20代のころ、ハッピーな歌が歌えなかった。気持ち的に無理したりして歌ってた。
ハッピーな気持ちが少なかったんだと思う。
切ない歌が好きなのは、そんな恋が多かったからだと思う。というか、ほとんどそうかもね。
だから、寄り添ってもらう歌が欲しかったし、歌に寄り添ってもらってきた。
ハッピーな歌が歌えるようになったのはキューバからなんです。これもまた別の機会に。
今もやっぱり、トーチソングが一番ハートで感じられるのでトーチソングを好んで歌う。
トーチソングの持つ、切なさと美しさと、優しさがたまらない。そういう歌は、私の中でキラキラするんだ。深い海の水面に光がキラキラしているような感じ。
優しさは、寄り添ってくれる歌を選んでいたからかもしれない。
生きているとさ、時々思うんだ。
辛かったり、悲しかったりな事があるから、喜びや、嬉しさ、感謝がコントラストの様に際立つんじゃないかと。
悲しかったり、切なかったり、辛かったり、やるせなかったり、苦しかったり、の中のキラッと光る宝石の様なものにゾクゾクしたりする。
色々と性格や性質の問題もあっての、上手くいかなったであろう、数々の恋愛。でも、それがあったから私の中で歌がキラキラする。
そして、どれだけ泣いて、学んだつもりでも、また恋に落ちる。馬鹿みたいだと思う。自分が嫌になる。それでも又恋に落ちる。ほんとに馬鹿だと自分で思い、自分が嫌になる。
そんな歌を、初めてショーンのスタジオに入った時に歌ってる(1996年)。
I Fall In Love Too Easily
悲しかったり、切なかったり、辛かったり、やるせなかったり、苦しかったり。そんな、どうしようもない、どうにもならなかった恋たちに、そういう想いにさせてくれた男たち、馬鹿な自分にこんな年になって感謝する。
私は歌が好きです。大好きです。特にトーチソングが好きです。
ばぁさんになっても、トーチソングを歌っていたい。