先日、7年ぶりにある男友達に連絡したの。

ガチスピな友達で、スピ前提で会話が進んでいく数少ないスピ友。私が11年前に横浜から小倉に引越すときも背中を押してくれ、荷物の整理を手伝ってくれた。8年前に家族の事で大変な時、ニューヨークに行くのを迷っていた私の背中を強く推してくれたのも彼。

きつい事を言うけど、根底に優しさがすごくあるんだ。

で今回言われた言葉が、

「歌ってるの?歌わなきゃだめだよ。あなたはそういう魂なんだから。あなたの歌で癒される人がいるんだから。」

私の魂・・・。

子供のころは歌う事が大好きだった。

大人になっても、歌う事で出会いや道が開けていった。でもね、お金にはならないの。お金をもらうと自由じゃなくなるし、従わないといけないという気がしてしまうの。でもね、お金とかじゃなくて、私の心が歌いたいって感じて、心が開かないと歌えなんだ。いいミュージシャンとかがいい音出すと、最高に幸せで歌いたくなったりする。

妙な期待とか、評価しがちな人たちが居ても、心が閉じる。若い頃、日本でそういうのがすごく苦痛だった。バイト先でニューヨークで歌っていたというと、「歌ってみろ」とかいうおっさんもよくいた。「私あなたに評価されるために歌うんじゃないですから。歌いません」と言ったこともある。おっさんに限らず、弾き語りをしていたおばさんにも上から目線で「全然ダメ」とか言われたこともある。そのおばさんが歌う英語の歌、英語無茶苦茶だった。たぶんそれぞれにいろんなコンプレックスとかあって、私を上からジャッジして自分を守ってるのかもだけど、不快だし、そういう事がよくあると、日本で歌う事がとてもとても不快になる。

ニューヨークではもっとおおらかだったし、音楽楽しかったんだ。キューバはもっとおおらかで、音楽が喜びだったよ。

あと、日本で英語の歌を歌うとき、観客もだけど、ミュージシャンも多くの場合言葉が通じないので辛かったりする。英語が解ったとしても、リアクションとか、コミュニケーションがむつかしいんだと思う。これは非常につらくて、孤独な気持ちになるんだ。だから、今は日本の人たちには、日本の歌を歌うようにしてる。あと、下手だけど自分でピアノを弾くようになってとても楽になったと感じてる。

私はやっぱり歌う事が好き。というか、魂が歌うんだ。かっこつけてるとかじゃなくて、自分じゃない誰かというか、私じゃない何かが歌うんだ。目の前のしゃっべってる私とはギャップが大きいから驚く人もいる。でもさ、歌詞を見て、歌うときには、そっちに行くというか、そっちが優勢になるというか。で、それは、私なんだ。自分の奥の、自分で意識してコントロールできない、何か。

アメリカでお世話になったあるミュージシャン(超一流)は私を「ソウルフルな歌手」とほかのミュージシャンに紹介してくれてた。

先日ある感性が鋭いアメリカに住む友人が「あなたの歌って、魂に響くわね」と。「ソウルフルな歌手」って言われたのというと「やっぱりね」と。

日本で「ソウルフル」というと、黒人のソウルミュージックみたいに思われるけど、彼女たちがいう所の「ソウルフル」とは、意味と感覚が違う。多分「魂で歌ってる」ってことで、魂を込めてるとかでもないんだ。魂で歌ってるだけで、別に何も込めてない。自然なだけで、どちらかといえば、そぎ落としている感じなの。

もしかしたら、はじめに出てきた男友達が「そういう魂」といった意味は、そういう事なのかもしれない。

誰かを癒そうとか、癒せる、なんて思わない。そんな傲慢とか、馬鹿というか、そういう事は意図をすることではないと思うんだ。何かのタイミングがあった時に、心にすーっと響く。それは意図して出来る事じゃないと思うんだ。

「キューピー人形いじって遊んでる場合じゃないでしょ。歌いなさい」とその男友達からお叱りを。

キューピー人形あそびしたいから、叱られないように歌おう(笑)。

後悔しないように。

魂が自然体でいれるように。

でもね、人がどうしろ、こうしろ、あれ歌って、とか言っても、全くできないんだ。

風に止まれとか、あっち向きに吹けとか、こういう風を送ってとか言っても通じないように。そんな感じなんだ。

という事で久々に動画アップしました。練習中の「オリビアを聴きながら」1番だけです。