ストレスマックスで、壊れかけているわたしです。

私が20代の頃、ニューヨークで暮らしていた時に、英語で見たのか日本語で見たのか覚えてないのですが、何かで見た言葉。

「ストレスとは、心がNOと言っているのに、言葉はYESと言っているときに起こる」

なるほどと思いました。

その頃の私は、いつもストレスを抱えていて、摂食障害も持っていました。

ストレスがたまると、暴食をし(目的意識のない食事と私は言っていた)、お水をいっぱい飲んで、トイレに行って指を突っ込んで吐くんです。泣きながら。そうすると、何かがすっきりするんです。

心がNOと言っているのに、YESと言っていわなくてはいけない。そう言わないといけなかった環境(仕事)と、そうする事を「当たりまえ」のように身に着けていた自分が居ました。

「環境(仕事)」は、水商売で、その頃は日本人の駐在員の方々が利用するクラブに勤めていました。

日本は、かなりあいまいな表現を使う事で、NOを伝えたりすることが多いと思うのですが、アメリカに居るとYESかNOをきちんと伝えないと、日本の様に同じ価値観と環境の中での暗黙の了解とか、空気を読むとか、相手を読み取るとかはとっても難しい。今までのそれを当たり前だと思っていたら、相手も困る。

私はニューヨークに足掛け10年、まる7年くらい住んでいました。わざわざ「ニューヨーク」と書いたのは、アメリカでも場所によって全然違うと思うから。日本でも、東京にいる人たちと地方のそれぞれの地域の人は考え方やスタイル、価値観、当たり前が違うでしょ。

ニューヨークは色んな人種、色んな宗教、色んな習慣の人たちが、それらのスタイルを持ったまま暮らしてたりするの。

日本の文化と社会ではNOというのをとてもいいにくい。周りにあわせることがよい事だと。教えられる。育てられる・・・刷り込まれてる。それが当たり前のことにようになってしまってる。自分の考えや、NOをいうと、協調性が無いとか、自分勝手だとか・・・それこそ、大人になれとか、言われる。

だから、自分の考えやNOをいう事に慣れてないし、そうする事が悪い事の様にも、自分の中で感じてしまう。だから、はじめの頃はNOを言うのにすごく勇気が必要だったの。NOを言う事に罪悪感があったと思う。というか、そうだったの。だから、NOを言う事にはすごい勇気が必要だったの。

で、勇気を持って、がんばってNOを言うんだけど、NOを使い慣れてないので、NOの言い方が上手くないんです。アメリカだからとか、英語だからとか、じゃなく、上手いNOの言い方、相手が気を悪くしないNOの言い方を学ばないといけないのね。それは、今もあまり上手くできない。結構テクニックが要る事だと思う。

私は、たぶん、普通というか、日本にしか住んだことがない人たちよりは、比較的、NOを言う人だと思う。

だけど、もしかしたら、日本の人たちはNOを尊重することに不慣れな人も多いかもとも、最近感じました。

このひと月の間にあった、私にあった、いろんな、人たちとの問題のいくつかは、私が自分の考えやNOを言った事が引っかかる気がします。私は比較的、ちょっと変わった人として認知はされていて、自分の考えを言う事はまぁまぁ尊重しようとしてくれている感じはあるのですが、NOを言っても、受け入れてもらえなかった。

私は結構お人好しなところもあるので、軽目にNOを言うのですが、相手に推されたら、まぁまぁ、余程じゃない限り、相手の事を尊重したりします。でも、やっぱりNOはNOで、どこかで私の中のNOが勝っちゃうんです。だけど、私の根柢にNOを言う事への罪悪感みたいなものもあるのので、色んな葛藤も起こります。

で、最終的には自分(の心)を護る為にとても強くNOを突き付けたり、その「人たち」からすごい勢いで離れたり。どれだけNOと言っても受け入れられない時には、自分の無力や自分の中で色んな葛藤が起きてて、心がとても疲れ果てて、メンタルがちょっとおかしくなったりするようです。

今では、けっこう、いつも、ちゃんと、自分の心と会話して、自分の心がNOと言っていたら、そのNOを尊重してあげるようにしています。それでも、まだまだ、多分、こういった地方都市では自分を抑えて周りに合わせたり、NOが受け入れられなかったり。

中途半端に儒教みたいな感じの部分も残ってるのかもで、目上とか、立場が上という人たちは、微妙に(はっきりな人もいる)、なんか、そういうのあるっぽいし、私の中にも、根深く、一応、目上の人を立てなきゃというのが、あったりする(そうは見えないかもだけど)。

とにかく、歴史、習慣、常識などなどがあっての、根深い事なんだと思う。

そんな中で、心がNOと言っているから、口でもNOと言えるようになるのはとても難しいと思う。だけど、それがある程度できるようにならないと、この国で感じる妙な閉塞感や、腹の中と言っていることが違う気持ち悪さ(私にとっては)は無くならないかもだし、何よりも、心が病んでる人、心を閉ざしている人、自分を殺している人、自分の気持ちが解らない人(解っているつもりでも多くの人が浅い部分でしかわかってない。人の心って複雑で深いからね)、自分が我慢してるからと相手にそれを当たり前のように強要する人、たちは減らない気がする。

自分の心を護る為に、NOを伝える事を練習した方がいいかもだし、他人のNOを尊重することを練習した方がいいかもと思う。


写真はこの数日切った木。こんな時は、体を使ってると、結構気持ちいいし、没頭できる。手のひらのマメつぶしたよ。

ダイソーで買ってきたズッキーニの種植えたら、芽が出たっぽい。