4月はいろいろあり、心が疲れ果て、ちょっとやばい状態でした。

人に疲れた。

もういっぱいいっぱいだった。

ちょっとしたことで、涙が出たり、パニくったり。

それでも、自然は待ってくれないんだ。

筍は見つけたらすぐに採らないと、もしくは倒さないと、すごい勢いでのびていく。のびると女の私には手が負えない。

木も切らないと、葉っぱが茂り、日当たりや風通しが悪くなる。切った木も薪用に早く切らないと、乾いたら固くなって切れなくなる。

草は伸びる。

野イチゴも食べたいならさっさと取らないと。

家のDIYも、自然とどう暮らすか。

網戸を付けたり。

漆喰で壁の隙間を埋めたり。

 

 

ムカデ防止の粉まいたり。

そうそう、この前まぁまぁ大雨だった。家の裏側は水がたまるから、合羽を着て、シャベルを持って、土や落ち葉を整理して水を流す。

筍をゆでて、

野イチゴでマフィンを焼き、

フキを処理して、煮る。

 

コーヒーは自分で焙煎して、ブレンドする。

エスプレッソマシンでミルクを泡立てる。

パンは自分好みのバケット風の食パンをホームベーカリーで焼く。

玄米は水につけて一晩おく。

 

野菜も植えなきゃね。

自然は、季節は待ってくれないから。

 

生きてるだけなのに、やる事がいっぱい。

生きているだけで精いっぱい。

 

時々、誰かが、私の暮らしを「豊か」という。

よく言われる。

「豊かさ」ってなんだろう、って考える。

 

自然の恵み、恩恵を感じながら、暮らせてる。

お金はあまりないけど、自然が私を退屈させない。

もともと、自然が好きとかではない私。

虫も草も大嫌い。湿気も大嫌い。マジで虫嫌い。

だけど、最近は、畑でミミズを見ると、「あ、土、悪くないのかもな」と。

毛虫がいると、嫌とか思わず、そのままに。ちょっと邪魔な時は、軍手を付けた手でどける。

八朔の木の周りに、きれいな蝶が飛ぶ。

花粉とか、受粉させてくれてるのかなぁ。

 

自然は、当たり前な事しかしない。

毎日、生きてるだけで精いっぱい。自然は待ってくれないから、追っかけられて、追っかけて、忖度も、建前もない。ただ、生きているだけ。

虫や湿気や、雑草の中に、季節ごとの自然からの幸というか、恵みというか。幸とか恵みとかなのか、そうじゃないのか解らないけど、自然の摂理というか、当たり前にそれらが現れて、季節を知り、美味しくいただく。

人間の事で心が疲れている時は、自然の中で、自然に追われて暮らしていると、なんか、浄化されるというか。そんな気がする。

もうすぐ、きっと元気になるよ。

明日も野いちごマフィンを焼こう。フキも煮よう。

大好きなカフェラテも飲もう。

買ってきたトマトとキュウリの苗も植えなきゃ。自然は待ってくれないからね。