先日、ある事で、「大人になりなさい」と言われた。

その時は、「嫌だな」と思ったけど、それから毎日、日増しに・・・涙が出てくるようになった。

私は、もう、限界。ストレスがマックスなんだと気づいた。このところ、立て続けに、いろんな「人たち」の事でいろいろあった。

彼女の言った、「大人になりなさい」は、引き金になっただけで、私はこのところ、もうすでにいっぱいいっぱいだったんだと思う。

18歳のころから、時々「大人になりな」と言われた。それをよく私に言っていた友達は、子供も家庭もあるのに、外に彼氏がいた。30歳の頃、私がそういう事を理解しないので、縁が切れた。

私は無邪気で真っ直ぐだったと思う。それだけだと思う。

私は18歳から20年近く「大人になる」という事を考え続けた。

私が見つけた大人の定義は「自分で考え、自分で選択し、自分のした選択に責任を持つこと」。

若い頃から、日本で言われていた「大人になる」という定義は、私には今も理解が出来ていない。

自分を殺して、抑えて、周りに合わせて何もなかったように。建前とか、空気とか。

でもそれは、「死ねば?」って意味な気もするんだ。

私にとって、最も苦しい事は、自分を殺す事。心を殺して、肉体は生きている事。私にとってそれほど苦しい事はない。

それと、誰かに否定されること。それは、誰かに心を殺されるという感じ。

子供の頃から殺されてきた自分、心を蘇生させるためにどれほどの時間とエネルギーを使ったか。

日本というか、特に地方にはまだまだ古いというか、私には受け入れられない価値観の様なものが当たり前にあるのだと、最近、立て続けにいろいろあって、つくづく思った。

私の価値観の方がマイノリティで、ここにはまだまだ縦社会や、サル山システムというか、村社会的なものがある気がする。そういう事を考えていると、今、いっぱいいっぱいな私は、涙が出てくる。

涙が出てくるという事は、もう結構ヤバい状態な気がする。

彼女たちの言う「大人になりなさい」というのは、とりあえず心を殺しておきなさい、感じないようにしなさい、と言われている気がする。だからか、日本に帰ってくると心が死んでるというか、心が見えないとか、何が本当とか、本心か解らない。そんな人や場面が多い。表と、内側の心が違うのが見えるたりすると、怖くなる。だから、私は時々混乱して、人が怖くなる。

自分で自分の心が解ってない人も多い。きっと、殺したり、抑えたりしてきた人たちなんじゃないかと思う。

ちなみに、私に「大人になりなさい」といった彼女は、全く悪気もないし、彼女たちの当たり前の、疑っていない常識の様なもので、本当に全く、悪気とか、そういうのはないのだと思う。何が一番の問題だったかというと、私が繊細過ぎるのかもしれない。

私の考えた大人になるという定義、「自分で考え、自分で選択し、自分のした選択に責任を持つこと」とは、全く正反対なのかもと思う。

私は今とても混乱していて、ちょっとしたことで涙が出る。突然不機嫌になったり、攻撃的になったりもする。攻撃的になるのは、いまぼろぼろの自分を護っているのだと思う。多分心がとても疲れてる。だから、すこし、人たちと距離を置いて、大切な事、大切な人に優先順位をつけて暮らさないと壊れかけてる。「大切な人」の最優先順位にあるのが、「自分」。

自分しか自分を護れない。自分をよく知って、自分と上手く付き合っていくしかない。

「せいなさん、大丈夫ですか?」なんて心配しなくていい。それより、自分はちゃんと自分であれてるか。自分の中に自分が居て、自分の心といつも会話が出来ているか。自分自身に訊いてみて、自分を大切にしてあげて欲しいと思う。

私は分析も出来てるし、解ってるから、少し静かにしていたらリカバーできる。

今月は、メルマガ休ませてもらいますm(__)m。

ごめんなさい。

でも、心配しないでね。大丈夫だから。