4月から、ちょっとみんなに心配させてしまったかも。だけど、いつものごとく、しずかに、見守っててくれて、ありがとう。

こんな仕事してるけど、生きてるから、心が生きてるから、色んなことがある。それはちゃんとある程度は見せておきたい。というのも、こんな仕事をしてるからこそ、私はスーパーウーマンでもなく、よい事ばかりではなく、色んなことを抱えているというか、持ってはいるけど、そういう自分の人生や自分と折り合いをつけながら、生きてる。

過去にあった事、過去にあった強いショックは、記憶から無くなる事はない。

自分を知る事、自分の事情を理解する事。それは、他者の事を知る手掛かりにはなると思う。そして、自分の事すらよく解ってない事に気づき、その自分自身に一歩一歩近づきながら、耳を傾けながら、自分自身と一緒に歩く。それが、自分を生きる為の大切なプロセスだと思う。

きっと、誰も、自分の事すら、解りきれてない。だから、他人の事なんて、理解が出来る訳はない。自分の事すら解り切れて無いという事に気づき、人間の心や人生が、ましてや他人の人生や心の複雑さが自分に理解できるわけがない事だと、理解出来た時に、他者への「尊重」が始まるのかもとも思う。

今回、私がここまで・・・。ちょっと鬱みたいな、そんな状況になったのは、過去にあったとてもショッキングな出来事を感情面で思い出す、出させる、スイッチをうっかり入れられた。

受け身とか、人のせいにするのは大嫌いな私だけど、「スイッチを入れられた」。

その件は、ダメだと知ってるから、私はそこに参加しない、行かないと、伝えるとそれが許されなかったの。「大人になりなさい」と言われた。

そのことをきっかけに、過去のトラウマが顔を出し、精神がおかしくなり、半分崩壊というか。参加しないという事が受け入れられない事で、どんどん精神的に追い詰められていったの。

涙が出るし、パニック起こすし、会うと怒鳴るかもしれない、と言っても、会って話をした方がいいとか、仕事の作業でわからない事を教えて欲しいとか、助けて欲しいとか。だけど、そんなことができる状況ではなく、罪悪感も強くなり、どんどん気持ちが追い詰められていった。最終的には相手への嫌悪と、自分への嫌悪、どうしたらいいのかと、一旦その人たちをブロックすることにした。

その人たちは、私がどうしてそうなっていくのか、理解できなかったとは思う。

自分の価値観と常識で、相手に接してはいけない。

解ってるつもり、理解してるつもり、理解しようと、多分その人はやっていた。だけどそれは、大人の私を全く尊重していないとても傲慢な事だと思った。私の中に怒りと恐怖が増えていったの。

私の人生、私の心の痛みを理解してもらいたいとは全く思ってないし、出来るはずがない。ただ、私はあなたとは違う人間で、違う経験をしていて、「違う」という事を尊重してくれればよかった。Noと言ってるのだから、それを尊重してくれればスイッチは入らなかったし、ここまで物事がこじれなかったと思う。

これは、お手伝いをしていた同窓会室で起こった事なんだ。

私は、学生時代、学校が嫌いだった。居場所がなかった。生きてることが辛かった。

それが、何でだったか、ちょっと理解出来た気がする。

私がNOと言ったら、誰かがNOと言ったら、尊重することが大人なんだと思う。

Noには、Noの理由があるのだから。

同窓会室のお手伝いはもうやめた。あの場所は私の過去にあった出来事を思い出すトリガーになってしまったから。それをどんどんこじらせてしまって、面倒な事になってしまったから。

もうやめた。

やめないと、私は自分の人生を歩めないから。

もうやめたから、もう、前を見れる。

私は、私の人生を、私のペースで歩く。

みんな、心配させちゃったね。だけど、大丈夫。また、私は、私のペースで、私の人生を歩けるから。

そっと見守っててくれてありがとう。

みんな、長い付き合いになって来たね。

ありがとうね。5月はメルマガちゃんと出すからね。