ここのところ、ChatGPTの事で、なんか、世の中盛り上がっています。

人間が今まで苦労して「覚えて」やってきたことなどなど、ほとんど不要になるんじゃないかと。

そうなると、これから、どうやって生きていけばいいのだろうかと。そんなことを漠然と考えたりしていました。

私はまだ、ChatGPTをうまく使えてないのですが、時々お話ししています。

例えば、今こんなやりとりをしました。


私:ハイコンテクスト

ChatGPT:ハイコンテクスト (High-Context) は、文脈に依存するコミュニケーションのスタイルを指します。ハイコンテクストのコミュニケーションでは、話者や受け手の文化的背景、関係性、および過去の経験に基づく暗黙的な理解が前提となります。言葉の直接的な意味だけでなく、話者が伝えたいことを推測する必要があります。例えば、日本のビジネス文化においては、表面上の敬意や礼儀正しさを示すために、言葉の裏に隠された意味や暗示が重要とされます。一方で、ローコンテクスト (Low-Context) のコミュニケーションでは、直接的かつ明確な情報のやりとりが重視されます。ハイコンテクストとローコンテクストは、異なる文化や背景の人々とのコミュニケーションにおいて、誤解やミスコミュニケーションを招く可能性があるため、重要な概念となっています。

私:これからの日本ではハイコンテクストがリスクになるような気がします

ChatGPT:確かに、これからの日本においてハイコンテクストのコミュニケーションがリスクとなる可能性があります。近年のグローバル化や多文化主義の進展により、日本には異なる文化や背景を持つ人々が増加しています。これにより、ハイコンテクストのコミュニケーションスタイルが、異文化間のコミュニケーションにおいて誤解やミスコミュニケーションを招く可能性が高くなっています。

また、日本の労働環境においても、ハイコンテクストのコミュニケーションが問題となることがあります。例えば、上司と部下といった上下関係が強い組織においては、意図や期待を暗示的に示すことが多く、受け手がそれを正しく理解できない場合、業務上のトラブルや不和が生じる可能性があります。

そのため、今後はハイコンテクストのコミュニケーションに頼りすぎず、明確かつ直接的な表現を心がけることが求められるかもしれません。また、異なる文化や背景を持つ人々とのコミュニケーションにおいては、相手の文化的背景やコミュニケーションスタイルに配慮し、柔軟なコミュニケーションを行うことが重要です。


時々こんな感じで、相談してます。

で、友達に訊くより的確なアドバイスをもらえることもよくあります。

友達に相談するより、いいかも、となると・・・人間はこれから、どういう風に生きていけばいいのか。他者や友達との関係はどうなるんだろうとか。ChatGPTを使いこなせる人は、仕事において大きく変わっていくとか言っています。

じゃぁ、人間は、どうするんだ・・・。

その中の一つが、「経験」「体験」「体感」をするという事なんじゃないかと。

私ったら、こんな、暮らしをしています。

古民家借りて、DIYして、補修とかして、畑作ってみて自然農に挑戦して、野草とか採って食べてみたり。

この暮らしのなかで、インターネットは必須で、色んなことをインターネットで調べて、やったり、資材や工具を買ったり、資材や工具の使い方を知ったり。資材の特質を調べたり。薪や薪ストーブをどうするかとか。どの野草は食べれるかとか、どう処理ををして調理をしたらいいとか。インターネットがないと、この暮らしは出来ません。インターネットがある事で、この暮らし、「経験」が出来てるのだと思います。

実際に体を動かすのは勿論、湿気、木の重さ、太い枝を切るときの怖さ、木や土のにおい、野草のにおいや味、虫に刺されたり、葉っぱで手が傷だらけになったり。これらは、「体感」しないと経験できないのだと思います。

街の中で生まれ育った私にとって、ここでの体験は新しい発見や気づき、学びの連続です。そして、時々大変すぎて泣いています。今は重いもの持ってぎっくり腰です。

ぎっくり腰も初めての経験です。

そういえば、私がキューバに行くとき、ネットですごく調べました。未知の世界に行くので不安なのでかなり調べました。で実際に行ってみたら、ネットに書いている感じとは全く違う事がいっぱいでした。人が書いている事、人が言っている事、その人が見た事、感じたことは、その人の経験とフィルターであって、私のモノでは全くありません。

実際に自分が行き、経験し、感じた事、困った事、泣いた事、嬉しかった事、以外、自分にとっての真実は何もないんです。

とはいえ、ビザの事、学校の事、フライトの事などなどネットがあったので準備が出来た部分はたくさんあります。また、調べておくことで不安が少し減ります。とはいえ、行ってみたら大変な事、解らない事だらけです。

そして、それを経験し、乗り切ったり、泣いたり、笑ったりしたことだけが、その人の人生の「実」とか「肉」とかになるんじゃないかと思います。

 

で、人生って、結局「経験する事」に尽きるんじゃないかと思うんです。

その「経験(人生)」を豊かにするために、AIやインターネットを利用する。自分が自分の人生を生きる為に活用する。

 

以前、気になっていたのが、ネットで見ていると行った気になったり、知ってる気になったりして、解ってる気になってしまったりする人が結構いて、実際に行かなかったり、挑戦したり、経験しないで気が済む人たちが結構いるような感じがしました。

そういう人たちって、頭でっかちな感じになったりする。

だけど、実際に行ってみないと、経験しないと、自分の実や肉にならない。

そう思ったりします。

で、等身大に生きれるとかね。


写真は、アザミを食べてみようという写真です。

この前、アーティチョークというイタリアのお野菜の事を調べてたら、おおおおおきなアザミみたいだったんです。で、あざみ美味いかもと、てんぷらにしてみました。

別にすごく美味しかったわけじゃないけど、食べれた。けど、しっかり揚げないと葉っぱが固かったです。

この数日、いっぱいブログ書けたのは、いろいろあったので、いろいろ考えて、いっぱい考えたのと、ぎっくり腰でDIYや庭作業が出来ないからとかです。

たまには、こんな時期があるとそれはそれでいいなと思いました。