読み終わるのにひと月かかってしまった。わたしはKindle で購入したけど、単行本だったら380ページほどらしいので、そこそこボリュームがある本だったと思う。

なかなか進まなかったのは、今の時代、いろいろやる事や気を取られることも多く、読書に集中しにくいのと、いろいろ考えたりで、立ち止まりながら読みました。

きっかけは、「ジャニー喜多川+GHQ」で検索をしてたら見つけた本でした。

「ワシントンハイツ―GHQが東京に刻んだ戦後」

今ちょっとまた、太平洋戦争(大東亜戦争)での敗戦の精神的影響とかを考えていて、そのタイミングでたまたまみつけたんだけど、すごくよかった。

何がよかったかというと、私は1969年生まれ。敗戦して約25年して生まれてるのね。戦争の話を聞くことはよくあるけど、戦後のアメリカ占領時代の事を聞くことはあまりなかった。というか、朝鮮戦争、パンパン、進駐軍、ギブミーチョコレート、は原爆や敗戦と妙なギャップがすごくあって理解が出来なかった。

戦争で負けるという事の意味、負けたらどうなるのかというのを改めて考え、私なりに多少理解が出来た。

今やろうとしているのは、作家の村上龍さんが1990年代にキューバで作ったCDをどうキューバの人に紹介したらいいのか、考えてる。今固まってるね。

いま改めて、キューバを経験した50代の私が、当時の村上龍さんのエッセイや作品を読むと、敗戦や進駐、基地、といったアメリカが敗戦後にもたらしたものが、すごく影響しているんだと気づいたの。

龍さんは、1952年生まれ。

私は、1969年生まれ。

 

私がアメリカ音楽や文化に強く憧れ、ニューヨークに住み、アメリカの音楽を歌い、太平洋戦争の事を知っていく。マッカーサー元帥の護衛をしていた退役軍人サンとも知り合う。その過程で、自分が日本人としてとても傷ついているという事に気づくの。

そして、ひょんなきっかけでダニーと出会い、キューバに行く。

そして、キューバで暮らす。

私は、日本人の自分を「再構築」した。それは「修復」ではないの。完全に砕けていたものを「再構築」だったの。

 

村上龍さんの「KYOKO」の帯には「希望と再生の物語」とあったのね。

その「再生」の意味が解らなくて、当時のエッセイを読み探したの。

もしかしたら、龍さんのいう「再生」は、私にとっての「再構築」なんじゃないかと。

 

村上龍さんと龍さんの作品(音楽)の事を、キューバの人たちにどう紹介するか・・・非常に迷ってしまったの。

というのも、私はある意味、ダニーとすごく繋がってる。男とか女とかじゃなく、不思議な、縁で、なんか繋がってる。日本の人たちにとっては、「私→ダニー」で、ダニーの友達は「ダニー→私」という感じ。

ダニーはフィデル・カストロやチェ・ゲバラを、超嫌ってる。憎んでる。

キューバに居たダニーの妹のダニエラは、キューバ政府への抗議運動で何度か逮捕されちゃって、パパが亡くなった後ドイツに亡命した。

パパは、フィデルやチェを敬愛していた。

 

ダニーやダニエラにも考えがあり、正義がある。

パパにも。

彼らに言わせたら、特にダニーやダニエラにとっては私はキューバ人じゃないし、部外者。

だけど、私にも、いろんな思いがあって、キューバに行った。たどり着いた。その立ち位置は、アメリカに敗戦して、アメリカに従って、アメリカに憧れて、それが、なんというか、おかしいというか、うまくいえない。でも、私も龍さんも傷ついていたし、大国アメリカに盾をついて、経済的に、国際社会的に追い詰められても、ある意味、戦い続けているキューバにある種の「希望」を持ったのかもしれない。私たちが無くしたものを持っているあの国や人々に。

でも、それは、ダニーやダニエラには理解できないだろうし、やり方を間違えると、深い溝を作ってしまうと思う。反発も買うと思う。とてもセンシティブなテーマだと思う。

その、できれば、いい落としどころが無いか、それを模索している。

 

私たち(戦後の日本人)に何があったのか。

どうして、こうなったのか。

アメリカは何をしようとしていたのか。

何をしたのか。

 

この本は、それを知る手掛かりがいくつもあったと思う。

 

東京の表参道から渋谷辺りにあったワシントンハイツは1964年の東京オリンピックで選手村になり、その後取り壊されたそうだ。返還もされた。

私が生まれる4年半前。

オリンピックで街は整備され、私はオリンピック後の日本しか知らない。

日本は、戦後とても貧しかったんだと、改めて知る。アメリカがキラキラしてて、日本での彼らの暮らしは全く別の世界。そうやって、アメリカに憧れるように、仕組んだんだとも思う。

うまく説明できないけど。もし機会があれば、読んでみて欲しい。

私たちがアメリカに憧れてしまった仕組みが解るかもしれない。

エンターテイメントやメディア、クリスマス・・・。

 

今も、私たちは「敗戦国」を生きていると思う。

アメリカの教育、アメリカの音楽アワード、英語が通じて妙に喜ぶ人、メディアや、ネット、一般の人たちを見ながら、今も精神的にアメリカが、上だったりする。根深い。

私もそうだったし、今もまだそうかもしれない。

 

だからって、怒ったって仕方ない。正当性を訴えても仕方ない。

日本政府が悪いとか、アメリカがどうとか、言っても仕方ない。

もう、そうなってしまっているのだから。長い年月をかけて、もうそうなってしまったのから。

自分にとっての落としどころを探してる。

 

そして、村上龍さんとキューバの音楽にどう取り組んでいくか。模索してる。

 

そういえば・・・。

太平洋戦争以降にアメリカが勝った戦争ってあるのだろうか。

日本ほど、占領政策が上手く行った国はないかもしれない。