去年の3月にパピーが無くなって、その12月に写真を飾ろうと、フレームを買っておいたんだけど、やれなくて、昨日やっと作った。

この数日は、目が覚めた時にふっと頭に浮かんだこと、たいがいは一つの事で、その日にそれをやるようにって、やってみてる。

昨日は、これを作るって事。

今日は「最後のピース」の事を書かなきゃって。

みんな必ず、両親がいる。両親がいないと、受精しないと、生まれる事はないはず。だけど、私たちは「親」に対しての理想を持っていても、「理想の親」なんていないと思う。それでも、私たちは何かと比べて、その「理想の親」像をもってしまい、無いものにフォーカスしてしまい、自分が満たされない事、余り幸せって感じない事の多くの原因を「親」にしてしまう。

たぶんそれで合ってる。

完璧じゃない親たちが、私たちの要求に応えきれないし、私たちの要求すら気づいてもいない。

それが当たり前なんだと思う。

それでも、私たちは与えられなかったことを数えてしまう。

 

私は多く旅をしたと思う。

時間も、距離も結構ある。

よく言われる「自分探し」の旅なのかもしれないけど、人生って多くの場合、人生の旅というのは「自分探し」の旅で、「自分」を見つけたら、つかめたら、そこから別のステージになるのかもと思う。

 

私は、父親の愛を探していたのだと思う。

それを恋愛に置き換える事は殆どなく、代替の父親を捜してしまっていた。

代替の父親というより、私の心が満たされる、納得のいく、ピースを求めていたと思う。

 

私の父は、悪い人じゃない。だけど、完璧でもない。父親としての責任を果たそうと頑張ってくれた。家族を路頭に迷わせないように。だから、私は、裕福ではないが、たぶん、中流のちょっと上位の物資的豊かさを与えてもらっていたと思う。でも、やりたい事に自分のお金が必要だから、働いた。

働いたお金で、ニューヨークに行った。

夜のバーで働いていて、「おとうさん」と呼んでた人がいた。男とか女とかじゃなく、私はその人を慕ってた。東大卒の国際弁護士だった。ニューヨークのレストランやホテルのバーに沢山連れて行ってもらった。バレンタインやクリスマスはディナーに連れて行ってくれた。レストランやバーでの振る舞いは「おとうさん」から学んだと思う。ある友人の事でお父さんとは付き合いがなくなった。

ベーシストのレナードガスキンは、お父さんというより、おじいちゃんのような人だった。年齢も私のお祖父ちゃんよりちょっと若いくらいだった。おじいちゃんだから、優しかった。本当に大切な事は厳しく、教えてくれた。私はこのお祖父ちゃんからいろんなことを学び、いろんなものをもらったと思う。

ドラマーのグレイディはまたもう一人の疑似父だった。とても頭のいい人で、感性が鋭くて、ちょっと気難しい人だった。難しいとは、彼と親しい人たちが言っていたけど、私には優しかった。音楽や感性的な事の、理解を求めていたのだと思う。それに、ドラムをプレイするときのグレイディはすんごくカッコよくってね。

色んな疑似お父さんに出会ったけど、私の心はまだ穴が開いていた。

その穴はダニーのパパが、塞いでくれた。

瘦せっぽちで、寂しがり屋で、子供みたいで、アル中で、糖尿で。お金もない人。

私には家族が居ないようなものだと知ると、「ショーコは私の娘だ」と言って拳を作って、自分の胸を叩いてた。

みんな、口では何でも言える。だけど、パパは口だけじゃなかった。私が大変だった時、色んな人が私から離れても、パパは私の味方で、私を支えてくれた。私がパパに不義理をしても、パパは私を愛し続けてくれた。そんな事は、死んだ後に気づいたりする。

私は、ひとりでいる事が平気。

昔は違った。

寂しくて、寂しくて、胸が張り裂けそうだった。

たぶん、色んなことが不安だったのだと思う。最も不安だったのが「自分の存在」だと思う。自分の存在、存在意義。自分なんて生まれてくるべきじゃなかった。そういう自己否定と、不安。

心の中にあった、穴、のようなもの。

どれだけ、私を好きだと誰かが言ってくれても、称賛してくれても、穴が開いている私の心は気づけば不安と自己否定感があった。

その穴を埋めてくれたのがダニーのパパ。

その穴にはまるピースが、パパの愛とか、想いだった。

私は1人でいる事が全く不安じゃなくなった。

誰かが私を悪く言っても、不安じゃなくなった。

私には価値があるから。

 

私は12月のホリデーシーズンが好きじゃない。

家族とか、そういうのを美しくクローズアップする。家族が居ない者にとってはコントラストになって、結構つらい時期になる。だから、パパはこれを作れって言ったるんだと思う。

だから作った。

作ったら、カオスで、うざい。

家に人の顔がいっぱいあるのは好きじゃない。落ち着かない。

マジうざい。

そうそう、ダニーのパパは結構うざい。

そうだね。家族ってうざいものだね。そうだった。

うざいと、寂しくないね。

最後のピースが埋まったら、私は日本の片田舎で、畑で野菜を作ったり、木を切ったり。何者にならなくてもよくなって、ただ生きているだけで、安心していられるようになった。

 

毎日、意味もなく庭に出て、野菜見たり、薪にする木を拾ったり。

日が当たってぽかぽかな縁側でお茶を飲んだり。

時々一人で歌ったり。

 

そういえばさ、パパが亡くなって、パパの親友のマノロは時々すごく寂しそうなんだ。だからさ、マノロも入れたよ。

ダニエラがドイツに亡命したから、ダニエラのお母さんも寂しそうだから、ダニエラのママも入れたよ。

ダニーの妹のタニアとはそんなに親しくないけど、パパが「タニアも入れるんだ!」って言ってるみたいな感じがするから入れたよ。パパはうざいからね。

ダニーはど真ん中に大きいよ。だって、ダニーに出会わなかったら、パパには出会えなかったからね。だから、ダニーはとっても大切な人だよ。ダニーも暑苦しくうざいね。