先日、知人のインスタグラムにお能の面がアップされた。
そういえば・・・彼女はお能のお面を作っていたと、昔、もう13~14年くらい前だったか話してた。その頃の私は、「能」の事は何も知らなくて、遠い別の世界の事だった。この数年、平家物語の事を調べている中で、能の作品にもなっていると知り、また、能には「鎮魂」の意図があると知った。
その面は、静かで美しかった。
この数か月・・・。
夏が終わる頃から。キューバのバンドの事でちょっといろいろやってたでしょ。団扇の花火とか。村上龍さんにお手紙書いたり。そこから、1990年代初期に、龍さんがキューバのミュージシャンと作った作品をストリーミング配信してもらえないかと相談をした。というのも、最初に作った3枚のアルバムがとても美しかったから。
どう美しかったかというと・・・。
濁味が無いの。素朴で純粋で、でもしっかり鍛錬された人たちの音。
最初のアルバムは、アメリカンスタンダードナンバーをスペイン語にして、女性歌手が歌ってた。その歌は、妙な意図もなく、変にアドリブをすることもなく、真っ直ぐ歌っていた。雑味が無いというのかなぁ。
村上龍さんからは、ストリーミング配信を検討してもらえるというお返事をいただけ、その事をその歌手と繋がりがある人に「彼女に伝えてください」と、伝えた。
このレコーディングをしたころの村上龍さんの著書「新世界のビート」には【「この仕事のことだけではなく、それを可能にしてくれた一人のすばらしい人物の名前「ムラカミ」をずっと忘れないだろう」とのこと。】と書いてあったので、きっととても喜んでくれると思った。
「わかったわ」と返事はあったのもの。当の本人からは何のリアクションもない。
その事でなんかだ妙なショックを受けてしまったようで、固まって動けなくなった。
そういえば、数年前にキューバを離れてニューヨークに住む彼女の息子(ピアニスト)とも似たような事があった。
今更だけど、音楽の意味が私とは全く違うのかも気づいた。
ダニーも。
10年前に日本⇔ニューヨーク⇔ハバナ(キューバ)を行ったり来たりしていた時、キューバでの音と、アメリカ(ニューヨーク)でのキューバを去ってアメリカの市民権を取得した人たちの音が、違う気がしたの。エネルギーが違うの。
「気がした」という表現なのは、なんでか、が、解らなかったから。ただ、漠然と気付いて気になっていたから。
でも、今になって、解った。確信だと思う。
アメリカの経済制裁の影響もあり、経済や物資が不足しているキューバでは、音楽は「必須な栄養」なんだと思う。
これは、アフリカの血も関係があると思う。たぶんだけど、日本は過去の歴史から見ても「言葉」が発達した国で、言葉でのコミュニケーションが発達した国だと思う。例えば、ユダヤ人もそうなんじゃないかと。だから、ユダヤ人が書く詩はとても素敵。私は大好きなの。私がアメリカンスタンダードナンバーを好んで歌っている大きな理由でもあるの。
アフリカは、多分、太鼓や踊りでコミュニケーションを取るという事が発達したんだと思う。だから、踊る事、太鼓をたたくこと、そういう事がDNAの中に刻まれていて、それは彼らの血に必要な栄養素というか。
例えば・・・人間って、コミュニケーションを絶たれるとおかしくなると思うのね。生きていくうえでとても必要な事だと思うの。その方法がアフリカにルーツがある人たちは音楽と言うか、踊りとか、リズムとか、太鼓、歌。
キューバ人で、一見白人に見えても、アフリカの血がどっかこっかで混ざっている人が多い。ダニーも、パパのお母さんは多分アフリカの血が多いムラータで、パパも少し褐色の肌をしてた。
生きるのに「必要な栄養素」は、アメリカに行くとそれよりももっと必要なものが出てくる。それが「お金」や「経済」なんじゃないかと。
だから、ある意味、血や魂より、お金や経済の方が大事になると言うか。それが無いと生きていけないというか、それの為にキューバを去ったんだと思う。そういう中で音楽の目的がお金や経済、エンターテインメントになるというか。だけど、日本も、血や魂より、お金や経済が優勢になった国だと思うので、キューバ人に限ったことじゃない。
エンターテインメントはある意味ではローマ時代のサーカスなんじゃないかと思う。娯楽になる。
その娯楽を与える事でお金を得る。資本主義のアメリカでお金は生きる為の優先順位がすごく高い。
キューバでは、お金が無い、経済が得られない状況が国にあるから優先順位が高くない、出来ない。生きていくために必要なものが「音楽」でもある気がするの。だから、キューバの人たちにとっての音楽は地に直結してて、生命力があるというか。
11月に書いた記事「不調和・・・「そうじゃない!」「何をやってるの!?」 」で、私は歌の仕事の後に帰宅して、叫んだの。
私の魂が「違う」って言ってたの。
「歌でお金が稼げてるの?」
そんな事を言う人たちもよくいた。
たぶんさ、そうじゃないんだ。お金で売った時にどうしようもない位、虚しくなるんだ。
たぶんさ・・・セックスを売れるか売れないか。
心を売れるか売れないか。
魂を売れるか売れないか。
そんな事に近い気がするんだ。
「いい趣味があっていいね」
っていう人もよくいたりした。
趣味じゃないんだ。それは私の魂が生きる為の形と言うか。それがないと私は生きてないんだ。
野花のようなもの。
特別でもなく、ただ、そういう生き物。
私が今、考え込んでしまって、立ち止まっている事のヒントが彼女の投稿にあった気がした。
静かで美しい魂が、この面にはあるような、気がした。
「全自分をかけて打ち込んでいた」
その魂を売れるのか・・・。もしかしたら、彼女もそうやって立ち止まって・・・田舎で畑を耕してるのかもしれない。
売れないものだから、濁ってなく、美しいのかもしれない。
無肥料、無農薬の野菜作りに挑戦中の私。
キャベツや白菜が、緑のお花みたいできれいなんだ。
キラキラしてるんだよ。ほんとに。