先日、友人と話してて・・・。
彼女が中3、私が高1のときに出会った。
付かず離れず、40年。
彼女は、トランスジェンダーで、いつの間にかおっさんになった。可愛らしい、チャーミングなおっさんだ。
「あなた、マイノリティじゃない。私も、まあ、マイノリティだよね」というと、「ショーコは超マイノリティだよ」と言った。
彼女(彼)は、私のことを幼子のままだと、愛情を込めて笑う。それは、とてつもなく、褒め言葉だったりする。
私の心と、言葉と、行動と。もちろんずれるけど、あまりずれないように。自分じゃなくならないように。そうやって、生きたいと、多分すごく葛藤しながら生きてきた。で、私は、まぁまぁそうやって生きてこれた、やれたのかもと、思わせてくれる。
多くの人は、自分と、ずれていく。
そのままの自分では、だめというか。周りに合わせていたほうが、生きやすかったり、周りの人たちが思う価値基準で生きていたほうが受け入れられたり。
でもさ、そうやって、どんどん、自分から離れていって、自分がわからなくなる。私は、それがとても怖かった。でも、すごく生きづらかった。すごく激しく葛藤した。
自分が自分でいていい。
自分が、自分でいられる。
が起こって、自己否定感に襲われるの。
でも、それって、多分だけど、否定されて育ってるから、そのままの自分は駄目で、変わってて、困った子だから、それは駄目だと、私のままはだめだと、言われてきて、私もそう思い込んでた。
今の私が、こうやって、比較的穏やかな心で暮らせてるのは、ダニーのパパとの出会いがとても大きかった。あの、貧乏なとてもとても純粋な老人は、私に何があっても、私の味方で、私がどんな不義理をしても、私のことを思い続けてくれた。何があっても、どんな不義理をしても、私がいい子じゃなくても、そんなことはどうでもよく、いつも子供のような目で、だけど私に家族がいないというと、自分がショーコの父親だと言いはった。
たったそれだけ。
私は、何にならなくても。人々に認められなくても。色々、困った自分があっても。まったくいい人とかじゃなくても。わたしは、わたしでいていいんだと。
わたしは、わたしでいいんだと。
多分、正しいとか、間違いとかもなく、私という人は、わたしのままで、いっぽいっぽ、歩けばいいんだって。
ただ、毎日を生きて、一歩一歩、生きていればいいんだって。あと、生活できる程度のお金がいるね。でも、そんなにたくさんは要らない。自分を殺さないで、そのお金を得たいね。
それが、一番の幸せなんじゃないかって、この4〜5年は思ってる。何が本当の幸せなのかはわからないけど、この数年はそういうふうに感じてる。
その友達に言うと、彼女もそう思うと言ってくれた。だけど、多くの人がそうできなくて、自分がわからなくなっていくんだって、言った。んでいたから、自分であろうとすると、すごい葛藤が起こるの。
それでも、わたしは、あまり変われなかった。自分が自分の中からいなくなることが最もいけないことだと、深いところで気づいてた。
私は、家族と縁がなくなり、孤独だと思う。だけど、自分を殺して、殺されて、そこにいるより、孤独のほうがましだった。だけど、それはとても辛かったよ。
でもね、自分の心を殺したり、殺されたりすることのほうが、私にはもっと辛いんだ。気が狂いそうになるんだ。