29日の夕方、寝袋を積んで、レンタカーをピックアップし、出発。嵐は収まらず。
夜中1時過ぎ、出雲大社に到着。嵐は収まらず、どころか、すごい嵐。ロープウェイが心配になって、宮島の天気予報を見ると、風もなく、快晴の予報。なんか飛んできて、レンタカーに傷がついたら、保障が面倒だとか考えながらとりあえず寝袋で寝る。
出雲大社は朝6時から参拝ができるので、5時すぎに起きて、歯を磨いた。6時前に車から出て、鳥居に行った。鳥居をくぐった。
ただ手を合わせて、ご挨拶するだけ。
境内を歩きながら、私の人生で何度、出雲大社に来ただろう・・・。歩く、目に映るもの全てが、父との思い出だった。父は、毎年3月の最終の週末に、信者さんを連れて、マイクロバスを2-3台で出雲大社、境港の恵比寿神社、松江の八雲の熊野大社にお参りに行った。私はそのイベントが大嫌いだった。私が日本にいるときに、参加するとき、なぜかいつも私の誕生日とかぶってた。私の誕生日を祝ってもらえずに、いつも不満だったの。
父は、年に3-4度ほど、出雲に参った。
年の初めの1月。
信者さんと行く3月。そのお礼参り。
それと、神有月に行くこともあった。
アメリカに住んでいても、私はほぼ毎年帰国した。帰国中は、必ず、出雲大社と熊野大社にお参りに行くように、父から言われた。お金もかかるし、何よりも結構遠くてきつい。できれば行きたくないから、誤魔化していくのをよそうとしたら、ひどい熱が出たりする。
出雲大社というか、神社に行く意味は、神社に何の意味があるんだろう・・・。
私は結婚式を熊野大社であげたの。離婚した時は埼玉から車を飛ばして、ご報告に行った。
出雲大社を出てしばらく走り、谷村新司をかけた。
父は、谷村新司が好きだったようで、車にCDがあった。きっと父も意味のわからない歌、昴が好きだったんだと思う。谷村新司の声には多分、プレアデスの波動があるんだと思う。
父とはプレアデスからの縁というか、約束だったんだと・・・気づいた。どうして、こんな事になったのか・・・どうして、私は、家族と離れなくてはいけなくなったのか・・・。
私が幸せに愛されている家族の中にいたら、私は、人の苦しみや悲しみや怒りが理解できなかったのかもしれない、と思った。解った。それがなかったら、私は今の仕事、感情のことをやってないというか出来なかったと思う。宇宙と父からのギフトというか、約束だったんだと、気づく。
八雲に着く少し前、昴が流れた。
「八雲立つ・・・」その和歌の言葉が何度も頭をよぎる。
宇宙から、多分、プレアデスの人たちがこの地に降りてきた時に、雲が立つような感じなんじゃないかと・・・。全くその歌の一般的な解釈とは違うけど、そういう気がした。そういう、ビジョンというか、見えた。
私の地球での転生はこの土地で始まった・・・んじゃないかと、感じた。この地に降りてきたプレアデスの人たち、神と言われるようになる人たちに、ついてというか、追ってというか、この地に降りてきたんだろうな、って。
とても嫌だった、祝ってもらえない私の誕生日。
すごく嫌だった。だから、ある時、父にいった「なんで私の誕生日を祝ってもらえないの?」
「お前、誕生日に出雲ぞ。いいことぞ」
出雲参りの時には、父はいつも上機嫌だった。父の笑い声が聞こえる・・・。
出雲と八雲は父との思い出がいっぱいだった。
全ては計画・・・というか、約束。父は、手探りであの仕事、魂の仕事をやり、その全てとは言えないけど、多くは私の中に引き継がれていると思う。私の中に引き継がれたというより、私が引き継ぐ道へバトンをつなぐ。私が、というより、そういう時代。父の時代、父の世代にやるべきこと、整理するべき事を、父は手探りでやってきた。それは、次の世代時代に必要なこと。
父は先祖供養と、前世供養を得意としてた。先祖や前世の供養というのは、その時代の人たちの感情解放というか、父は無理矢理納得させて上にあげてた。人との付き合いのように、その人の性格、性質によって付き合い方の個性が出て、やり方はいろいろだと思う。
私は、今世の感情を得意とした。私も独自のやり方で、誰にも習わず、自分で模索しながらやってきました。習ったとしても、納得がいなかくて自分のやり方を見つける。父もそうだったと思う。前世や先祖供養、お神様のお祀りやお供えに関しては、塔婆の書き方や、祝詞や、お経の種類は父から教わった。
多くの人たちが言うように、地球は大きな変換時期に来てるのかもしれない。
私たちは、その時代に向けての準備を、地道にしていたんだと思う。
天変地異があるとかはわからない。だけど、今回のアメリカの大統領選挙、トランプさんの言っていることややろうとしている事、それは、今までの、日本にとっては大きくは明治維新以降かもで、他の国々にとっては、大航海時代とか、そう言う富と権力と、戦いと略奪など、多分、もっともっと以前からのサイクルが終わるというか、終わらせようとしている気がするの。
トランプさんも、イーロンマスクさんも、叔父さんや、お父さんを暗殺されたロバートケネディJrも、命懸けだと・・・感じる。
私が、戦争に関わる歴史ことをずっとやってきたのも、多分、私の魂にはすごく意味があることだと思う。あそこまで突っ込まないと、実際にその当事者に会ったり、キューバで暮らさないと理解できなかったこと、納得できなかったことがある。でもね、それもみんな、音楽が道を繋げていってくれた。
熊野大社は、小さな神社だけど、出雲国のとても重要な神社。
何度もこの神社にきた。弟と車で寝たこともあった。
何度も、何度も、横浜にいても、夜行バスに乗り、何でここに来なきゃいけないのかわからないけど、すごく面倒で、なんでかわからないけど、ここに来なきゃいけなかったんだ。
やっと、その意味がわかった、ような、気がする。