父が亡くなってから、いろいろなことを考えたり、気づいたり、知ったり・・・。

そうそう・・・。どうして、この家庭に、この家族に生まれたのか。

魂の世界では、自分が選んだという。

嫌というか、きついというか、理不尽すぎるな、って思う事はいっぱいあった。それも父を介して、きょうだいに関わることで、信じられないくらい、理不尽なことがいくつかあった。だから、30代の頃、自分が選んだということを何度も何度も何度も考えた。何度も何度も何度も。

行き着くところは、この人、「父」を選んだという事。

自分の人生を振り返ると、この答えで多分合っていると思う。音楽とスピリチュアルな事は、私の人生の最も大切な要素で、父から引き継いだというか、そういう父だから私が選んだんだと思う。

私は、この人を通して、たくさんのことを学んだと思う。

スピリチュアルな事は父の背中を見て、私なりのやり方で勝手に学んだ。人が人に教えられる事って、あまりないと思うんだ。その人が自分で気づいて、いろいろ実践して、経験して、学ぶというか、身につくんだと、私は思ってる。

私が、結局、感情解放だと言い続けていること、それが最も大事というか、そこが始まりだと強く思っているのは、父を見て、家族を見て、自分の心を見つめて、出した答え。

どうして、あんな理不尽な目に遭ったのだろう・・・遭うのだろう・・・。

理が叶ってないから、理が尽くされてないから、理解も納得もいかない。だから、本当に苦しんだ。自分や自分の中の血を忌み嫌った。でも、自分や自分の中の血からは逃げる事はできない。

どうして、父は私に対して、あんなに理不尽なことをしてしまうのか・・・。私が憎いわけでもない・・・。

私が出した答えは、父は幼少時代にあった祖父との関係から、自分自身を愛すること、受け入れる事が難しく、父自身が苦しんでた。私は、父に似ていたと思う。人の言う事は聞かないとか、人の下につけないとか、いろいろね。父は、私の中に、父の持っている、受け入れたくない部分を見ることが多かったのかもと。比較的正直な私は、嘘や、機嫌を取るようなこと言わない。だから、すごく腹が立っていたのだと思う。

愛は感じる。だけど、理不尽すぎた。

自分自身を愛し、受け入れることができない人は、他者を愛し、受け入れる事は難しい。

「嘘をつくな!」と言いながら、嘘をつかないと追い込まれる。

結局、父の顔色を見て、言葉を選べる人しか父は受け入れられないというか、家族の私だけじゃなく、友人や信者さんともそうだったと感じる。

どうして、そんな事になるのか・・・。幼少期の経験は根深い。

霊的な能力があったとしても、人間として深く成熟しているとは限らない。というか、そう言う人は極めて少ないと思う。

父も然り。今まで色々出会ってきたスピリチュアル系の人たちの多くもそう。特に、表でいい顔をしている人ほど、そうだった。スピリチュアルをうたっている、生業にしている人たちに何度も幻滅をした。でも、私が無知で幻想を追っていたのかもしれない。

魂の世界はそういうことじゃないよね!!と、私はいろんな人たちとぶつかって来た。

教えられることなんてほとんどない。その人が気づいて、その人が行動して経験するしかない。だけど、教えられると思っているし、教えてもらいたいと思ってる人たち。それで成り立っているのだからそれでいい。とは頭でわかったとしても、心、感情では、はなかなか理解できなかった。

 

きょうだいとは、私が色々なことを経験し、感じ、考えるための大切なチームメイトではあったとしても、和解というか、折り合いをつける事は難しかった。もう、全く違う方向を向き、全く違う考え方や、理念や価値観を持っている。私の道理は通じないし、相手の考える道理も、私には受け入れられないというか、責められないようにとりあえず嘘というか、適当なことを言う。そして自分の事と相手の事がとても嫌になる。

私なりの誠意を持って正直に伝えると、より複雑に拗れる。

他者を変えること、他者、その人にはその人の考えがあり、相容れないのなら、それを尊重するしかない。それが、自分を嫌いになる事に繋がるのなら、直結してしまうのなら、離れることが賢明なのだと、思った。

もう、全く違う世界、価値観の中で生きているのだから。

それでも不思議なもので、私は、私の魂は、祈ってる。幸せになってほしいと。

でも、その幸せの定義も、多分全く違う。

数日前から、「卒業」という言葉が来る。

「卒」は、終わること。終えること。

「業」は、仏教用語での「ごう」。カルマらしい。

 

私は、この「家族」との業を終えていいのだろうか・・・。終わるのだろうか・・・。本当にいいのだろうか・・・。逃げじゃないのだろうか・・・。自問自答を繰り返している。

でも、きちんと整理して、理解して、手放して行かないと、次に行けない気がする。

この肉体を持って生きていられる時間は、限られてる。

父が与えてくれた学び。私が選んだ学びを卒業しなきゃな時に来てるような気がする。

だから、卒業を、その業を終える事を自分の心に折り合いをつけようとしてる。

もうすぐ、卒業できると思う。