こんな歳になると(56歳)、人生を振り返ることもしばしば。

エンターテイメント業界は、やっぱり、陰謀だらけ。薄々は感じてはいたけど、こんなに酷いとは思ってもなかった。

最近は、そういった音楽をほとんど聴かなくなった。今はちょっと聴けない。

だから、直接知ってる人、人となりを知ってる人、信頼できる人、とかの音楽を、時々聴く。

私は、結構有名なミュージシャンたちに、リアルで出会ってきた。その中で、Grady Tateというジャズのドラマー、ジャズに限らず、彼ほど多くのレコーディングに参加したミュージシャンは珍しいかもしれない。クインシージョーンズのバンドにもいたし、1970年代から2000年位までの洋楽が好きな人は、彼のドラムを聴いたことがあると思う。

私が彼と出会ったのは・・・。出会う前・・・ある女性ジャズボーカリストのアルバムにドラムで入っていて、この人は、歌のことをすごく知ってる人だと感じたの。

それから数年後に、リアルで出会うんだけど、彼はドラムを演奏するより、歌うことの方が好きな人だった。だから歌のアルバムを何枚も出してるの。グラミーにノミネートされてこともあるみたい。

彼は、私が出会った人のたちの中で、特に魂に深く触れた人だった。

気難しい人だと、彼の友人は言ってたけど、彼は私をとても大切にしてくれた。私の歌と心を。

彼は、多分、ほとんど、というか、誰もが知ってる人との仕事をたくさんしてる。

マイルスデイビスはもちろん、サイモン&ガーファンクル、ベットミドラー、ロバータフラック、私が気づかない、知らないものも多い。

そんな彼は、どうして、私をあんなに可愛がってくれたのだろう・・・と、以前はよく考えた。

十数年前に、私が無邪気だから、と気づいた。

何度も考えるけど、今も、そう思う。

 

邪気だらけの世界で、内心や、無意識で、得をしたい人、有名人と関わりたい人、憧れ・・・なんというか、「名前」があるから、日本だと肩書きとか地位とか、そういうのとか知名度というのかな。でも、それも仕事。

ツアーの時について行ったことがあったんだけど、楽屋で関係者との会話や態度は、なんというか、とてもビジネスライクだった。ちょっと皮肉を込めて、あしらったり。

よく勘違いされるけど、私を女性で、性の対象としては見ないというか扱わない。もしかしたら、そういう目線がなかったわけじゃないかもしれないけど、私が無邪気だったから、そういうことは一度もなかった。

Gradyにとって、私は、特別だった。

歌も、態度も、心も、無邪気だったからだと思う。

ありのまま、というか、等身大。

夢や憧れもあったよ。純粋な夢や憧れだったんだと思う。

Gradyは、無邪気な私が目の前にいるのがとても嬉しかったのかもしれないと今は思う。

 

世の中の多く、特に今までの時代は、お金、地位、名声、学歴、とか、資格とか、評価とか。そういうのが重視された感じだった。だけど、それらの多くは作られた仕組みと、刷り込まれた価値観。どれも死んだら持っていけない。

無邪気であるということは、その人がありのままなんだと思う。

私は、それが、実は、一番大事なことなんじゃないかって、今は思う。

無邪気であるってことは、魂のまま生きてるのかもしれない。

無邪気でいれば、魂に響き、世界のどこにいても出会うことができるのかもしれないね。

グレイディの歌を聴いていると、今もすぐそばにグレイディを感じるよ。