子供のころから、人の為、彼方の為、と言う言葉は、いい事だと思い込んでた。私がこの言葉をとても嫌うようになったのは、あるミュージシャンとの出会いだった。彼はよく「しょうこちゃんの為にいいよるんよ」と言った。当時私は20代始め、その人は私よりかなり年上だった。彼は私の事を思って言ってくれているのだと思ってた。私の家族も、よく同じようないい方をした。だからそれがいいことだとも思ってた。でも、そのミュージシャンにせよ、家族にしても、いつも私を傷つけた。
40歳を過ぎて、ある時、その彼に再会しとても嫌な想いをさせられた。その数日後、「勘違いしないでほしい、昌子ちゃんの為に言ってるんだよ」と、言われた。やっとその言葉のトリックに気が付いた。言っている本人も気づいてないのかもしれない。
私が30歳の頃、ある日父が、「お前は、社会のカタワぞ。俺は、お前が社会で困らんようにと思って、お前の為に今まで色々な事を言ってきた。でも、お前は変わらん。(お前は俺の範疇じゃない)これからはお前の思うように生きろ。」父は辛そうだった。私はやっと自分が尊重されたように感じた。
今までの人生で、昌子ちゃんの為を思って、色んな事を言ってもらった。でも多くの場合、その人の価値観の中で私を思ってくれていた。自分を否定されているようだった。ある時期から私は、「彼方の為を思って言ってるのよ」と言われると、その人の言葉を出来るだけ心に入れないようになった。
今朝、ふと、ある人の事を思い出した。
私が中学2年生の頃、毎日使う駅の前にあったお店でいつも早朝から働いていたお姉さん。学校に行きたくない私は殆ど毎朝そこでコーヒーを飲んでいたの。10時ごろになったらやっと学校に向かう。そんな子だった。時々お姉さんは「学校に行ってお友達と食べなさい」と言って、ドーナッツを箱に詰めてくれた。私はそれを握らされてしぶしぶ学校に向かってた。
中学3年生の3学期。学校に行く理由が解らない私は、高校に行きたくない、と、言っていた。ある日お姉さんは真剣な目で、「昌子ちゃん、高校には行ってほしい。3年間我慢すれば、その後の人生が変わるの。生きやすくなるの。3年間、”私の為”と思ってもいいから。私に騙されたと思ってもいいから。お願いだから高校には行ってちょうだい。」
受験の前日、「昌子ちゃん、明日の朝は絶対にお店に寄ってね。絶対よ。」
受験当日、「昌子ちゃん、絶対大丈夫だからね。お守り作ってきたからね。試験が終わるまで開けちゃダメよ。」
お姉さんのお守りは、ノートの様な紙だったと思う。
開けると、「絶対に合格します」そんな言葉だったと思う。紙いっぱいに何度も何度も書かれてた。お姉さんは字が下手だった。字が下手なのに一生懸命書いてた。
お姉さんは、「昌子ちゃんの為」とは言わなかった。
お姉さんの言った事は本当だった。その3年間のお陰で私の人生は生きやすくなった。
お姉さんの事は、時々思い出す。
心から、ありがとう。って、思う。