今日はダラダラと、書く。時間のある方はお付き合いください。
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NYのパッカー宿で出会った、中南米を旅している20代の男の子たち、フェイスブックで旅の途中経過を見ている。今日は、エクアドルで盗難にあったと。数週間前にもう一人の子もペルーで盗難にあったと。ふたりとも、旅を続けてる。ショックはあったとしても、絶望感は感じられない。なんか嬉しくなる。こうやって、色んな世界を知って、いろんな経験をして逞しくなっていくんだろうな。と。
アメリカに初めて着いた時は空港でスーツケースが無くなった。
私がNYに住んでいたのは、1989年~1998年。クリントン政権になり、ジュリアーニ市長になった頃、徐々に治安が良くなってきた。物価も家賃もかなり上がったけどね。1991年頃、知人が強盗に殺された。犯人はプエルトリカンだったらしい。最近の私はラテン大好きだけど、実はこの影響で、ラテン系の人にずっと偏見と警戒心を持ってた。で、その頃、本当に怖かった。怖くて、毎日電気をつけてラジオを付けたまま寝てた。その半年前には空き巣にやられて、現金1000ドルとCDとか服とか持って行かれた。夜中にタクシーで帰宅する時の為に、「Keep watching me until I’ll get in(私がビルに入るまで見てて)」という言葉を覚えた。時々、薬で飛んでるようなタクシーの運転手も居た。遠回りしたりコスイ事をする運転手とは言い合いして怒鳴り合ったり。家の前で人が殺されたり。電車で強盗にあったり。23歳くらいからミニスカートを着なくなった。もしも、変に刺激して何かがあった時私にも落ち度があると思うから。高級品なんて一切持たない。そんな物を持って歩く様なエリアに住んでない。人前でお金を数える事は無かった。バーで飲む時はいつもバッグをカウンターの上に置いていた。酔っぱらっても電車で「寝るな!」と自分に言い聞かせて、家に着くと、そのまま寝落ち。いつも、緊張感があった。
毎日、家に帰りつくと、「今日も無事に生きて帰ってこれた。神さまありがとう」と、心底ホッとしてた。
私は危険だった頃のNYが好きだった。不思議な物で、危険が近くにあると、「生きてる事」が鮮明になる気がする。何もなく生きて帰ってこられた事が当たり前の事じゃない様な気がしてた。
今のNYはあの頃に比べかなり安全。ハーレムの店には防弾ガラスもない。ハーレムを夜中に歩いている。安全の方がいい、でも、安全だと生きている事が当たり前になるし刺激も減る。
先日、今度のルームメイトと話してて、「刺激ってなんだろう」という話になった。
今までの経験値にない事、今までの日常にない事、今まで知らなかった事、そういう事を経験する事なのかもしれない。自分の経験値にない事や無い世界を体験するのだから。その経験値が上がった時、私は、今までの世界がとても退屈になる。
で、ルームメイト曰く、それは快楽であると。私はかなりの快楽主義者らしい(笑)
いつから、そんな風になったのか、元々そういう性質を持っていたのか。知らない世界へ飛び込む時、直観と、勇気と、リスクと、委ねる事が要る気がする。
新しい体験は、エキサイティングだけど、怖いんだよ。
音楽も、ダンスも、その土地で本物に触れて本質を知ると、びびびびびっびび!!!!ってきて、もう今までの世界が退屈になる。知らなければ、その退屈もないのかもしれない。退屈を感じる事は楽しくないので、いっそのこと知らなければいいのかも、と思う時もある。でも、知ってしまうと、もう後戻りできないんだよ。
なんて贅沢で我儘なんだろうって思う。刺激が無いと生きている気がしない。かなりの快楽主義者なのかもしれない。
でも、今の私は、快楽を求める為のリスクテイクの勇気が足りない。退屈で腐っているくせに。
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今月終わりに引っ越します。
あと、携帯電話の番号も変わります。
少しずつキューバに行けるように身辺をシンプルにしたりして準備をしていますが、まだ、リスクテイクの勇気が足りないの。仕事の事もあるしね。