感情解放プログラムで、色んな山場がある。その度に色んな事を考える。
お客さまのプライバシーなので、ここであまり書く事じゃないけど、気付いた事があったので、関連する事を書いておきたいと思ったの。
クリスタライズの感情解放の扉をたたき、出会う方々の中には、親から否定的な言葉や態度を受け育ってきた方々も少なくない。
そのままの自分を認められなかったり。
子供は親に愛される為に如何様にも努力するというか。だからそのままの自分より、親の求める自分になろうとする。言い換えれば、そのままの自分を箱の中に閉じ込めて行く。
私もそうだった。
そのままの自然な、自分を否定されるたびに、「自分」が殺されて行く様な。
でも私の場合は、我と言うか、「自分」の生命力が強かったからか、息が苦しくなったり、部屋の中で泣きわめいたり。そうやって「自分」をなんとか保たせた。
でも、ボロボロだった。
自分が生まれて来た事は間違いで、迷惑なことだと、思ってた。
自己否定の気持ちは、とてもきつい。
だって、ずっと自分と、いつも一緒にいて、離れる事は無く、自分の中に自分が居るんだもの。
自分を殺す事に慣れきって、本当のその人がなかなか見えない人もいる。
この人は、本当はどんな人なんだろう、と、探る。
プライベートでは探らないよ。ただ、距離を置く。
でも、仕事だと、その人すら忘れてしまった、箱の中のその人を探るの。
それが仕事だからね。
私の父が、唯一認めてくれていたのが、私の声と、歌、あと、音楽を選ぶセンス。
意地悪だった小学校の担任の先生も、私の声と歌は褒めた。
だから、私は歌う事が出来たのかもしれない。
承認されたのだと思う。
やみくもに褒めるのもどうかと思うけど、良いと感じる事は、きちんとしっかり褒めてあげる事、大事だと思う。
それが自信や安心になって大事なものになって行く。
否定ばかりしていたら、自信をなくす。
好きなものが何か分からなくなったりもするんじゃないかと。
私は貶されて育ったから、貶す事が愛情表現だと思っていた。
人をほめる事が下手だった。
親が否定的な事ばかりを言ったとしても、親も否定的な事を言われて育ったのかもだと思う。
否定的な事ばかり言う人が居たとしても、その人は否定的な言葉の中で生きて来たのかもしれない。
悪意のある人もいると思うけど、案外悪意は無く、自然とそうやってしまっている人も結構いると思う。
そのままの自分を承認されなくて育ったら、生きにくい。
とっても生き難かったと思う。
近年はかなり生き易くなったけど、時々、自分の中にある否定的な自分が、ちらっと顔を出す。
うわっ!って思う事もあるけど、ま、いいか、とも思う。
誰かに嫌われても、誰かが私を好きでいてくれる。
私のガチャガチャな生き方を、認めてくれてる。
だから、ガチャガチャに、自分らしく、生きようと出来る気がする。
ガチャガチャよ。
その「生き方」を、否定したり、非難したりすることもできると思うけど、愛して見守ってくれる人もいたり。
否定や非難する人ばかりじゃないから、びくびくして生きる必要はないなとか。
図太くなったというより、安心してる。
昔いつも持っていた、あのビクビク感はなんだったんだろう。
そのまんまの、私を好きでいてくれる人達に感謝している。
上手くまとまらないけど、ま、いいや。