工場の現場で働いていた時に、キューバの葉巻工場を思い出した。
キューバは世界でも有数のクオリティの高い葉巻を生産する。ある方たちが日本から来る。知人に頼まれて、ガイド料をもらう事になった。彼らは葉巻が大好きで、葉巻愛好家。キューバの葉巻が特に好きだという。葉巻工場に行きたいというので市内の政府が行っている観光案内所で場所、時間、料金、チケットの取り方を聞き、近隣のホテルにある政府が運営する観光用のチケットを購入する窓口に行き、1時間ほど待ってチケットを買った。
葉巻工場ももちろん政府が運営してる。
葉巻工場では英語のガイドが工場内を案内してくれる。
日本から来た方は大好きなキューバの葉巻がまかれる作業を廊下から見ながらとても嬉しそうだった。
葉巻を巻く部屋を窓の外の廊下から見て、複雑な気持ちになった。
この人達は、多分ひと月20ドル位の給料で毎日葉巻を巻いているんだろう。葉巻を毎日まくだけでもうんざりするだろうに、こうやって外国から来た人たちの見世物になってる。この人たちはどんな気持ちで私たちを見ているのだろう。
彼らは、ディズニーランドのアトラクションで働いているわけでもない。でも、キューバという観光が国の経済を支えている社会主義国。観光で見る側にとってはこれも一つのアトラクションなのかもしれない。
彼らと、私たちの間には、ガラスの扉以上の大きな隔たりがあって、全く違う世界に住む。
そこにいるのが嫌だった。
個人事業も出来るようにはなっていたキューバ。個人事業で稼ぐことが出来る人の暮らしは少しずつ豊かになっている。外国に家族が行った人も、外国からの送金ですこしは楽にはなってはいる。
どの位送金があるのか。ダニエラはお姉さんがマイアミに居る。ニューヨークの兄、ダニーは一切援助をしていない。マイアミのお姉さんにマイアミでお会いした。働きづくめだった。彼女は月に50ドル送金をする。ドルからは10%の手数料を引かれるので、45ドルがダニエラに入るのだと思う。パパ、ダニエラの息子と娘がパパの年金と、ダニエラの生活保護でなんとか暮らす。かなり厳しい生活だった。
あるパパの友人は、息子がヨーロッパで医者をしているらしく、毎月150ドルを送金してもらっているらしい。
コヒマルに住んでいた頃、ルイシートの家の向かいに住むホセとグリセル。
グリセルは、見た目は怖いけど、すごく優しいオバサンで、とても可愛がってもらった。彼女はバスに乗っていつも仕事に行く。政府の仕事。多分月に20ドル位だと思う。ルイシートは歌手としてしっかり稼ぎがあるので、ホセとグリセルの生活を援助していた。
キューバ人の暮らす世界は、私の暮らす世界とは透明なシールドで隔離されているような。
何が楽しくて生きているのだろう。
それでも、グリセルはいつも「ショーコ!!」と通りの向こうから笑顔で声をかけてくれる。彼女の体を触ると、深く重い悲しみを感じる。それでも、いつも笑顔で私に接してくれた。見えない壁を感じながらも、私は彼女たちに甘えさせてもらい、キューバでなんとか暮らすことが出来た。
彼女たちの暮らしと私の暮らしは違う。属する違うシステムの中で、私にどうすることが出来る事でもない。出来たとしても一時的であり、そんな事に感謝や負い目を持たれたくない。
外国人の私から何かをもらおうとしたことは一度もない。
絆とか、愛とか、言葉にしたら安っぽくなる。私は、そういう言葉が嫌い。
だけど、絆があって、みんなが優しかった。
だから、生きていけてるんだと思う。
だから、私に優しかったんだと思う。
日本にあってキューバにない物はいっぱいある。
キューバにあって、日本にない物も。
私は両方の恩恵を受けて生きてる。
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今日の写真はホセの家でのニューイヤーイブ。この日、ルイシートとジェシーは仕事があったので、ホセとグリセルの家で新年を迎えたの。ホセ飯はすごくおいしいの。
ホセとグリセルの家でのニューイヤー。