栃木から帰ってきて、また、ゴロゴロしてる今日この頃。
母の事もあって、改めて江原さんや冝保愛子さんの動画を見ていた。
江原さんを初めてテレビで見たのは、結婚していた頃で、「答えてちょーだい」という、昼の奥さま番組に出てたの。霊障とかを解いていくんだけど、「この人正しいな」「辻褄合ってるな」だったの。
私は、ま、そういう系の家庭で育って、父のやっている事や、父を慕ってくる「信者さん」と言っていた人たちや、そういう、霊とかの事とか見てて。時々真似してみたりして、怖い目にも遭って、面倒な事も起こして、父にこっぴどく叱られて、父に対処してもらって。
自分で体験しないと、信じない私。
私が中学生の頃、父はあるお寺に入るのね。山に入り修行ちかもしてた。そのお寺に行っていた頃、姉は得度がどうとか、言ってた。やったのかな。弟もやった気がする。した所で人生において立派な仕事をする人になるのかとか、人間性にどうなのかとか、全く関係ない。でも、お寺の人は弟の事とか持ち上げてたなぁ。スピ系の人が「あなたの魂は人を救うために来たのよ」とか、「○○の生まれ変わりね」とか言うけど、それに似てるかも。今思うと、得度式とかも商売だったのかもね。
その後、このお寺の人と考え方が合わないとかで離れるの。たった一人で、自宅で、そういう仕事を始めることになるの。こういう所、私は父に似てると思う。
で、その頃から、いろんなものを見るの。
父の前で手を合わせて、突然泣き出したり、騒ぎ出したりする人たち。霊障とか、前世とか。
でも、私はそんなこと信じない。そんなある日、私の脚にすごい湿疹が出て、病院行っても原因も解らないし、何しても治らない。膿んで、ただれて、ひどかった。で、仕方なく「お父さん、見て」と言って、父の前に手を合わせて座った。
「アメリカに帰りたい」と泣き出した。で、どうやらカトリックだった前世のようで、マリア様の像と十字架を買ってきて部屋に祀り、手を合わせだしたら湿疹がすっと治ったの。
で、仕方ないので、父のそういう世界を受け入れることにしたの。
ほんとかウソか今も解らないけど、「前世の傷」というのはかなりいろいろあったみたい。私はよく中耳炎になってたの。中学生の頃は病院に通ってた。20歳位までよく中耳炎になってた。前世、戦で矢が刺さってる、とかで、抜いてもらった事。結構耳に刺さってた、というのもあって、それ何度か抜いてもらったら、気が付いたら全く中耳炎起こさなくなったの。ほんとかウソか、今もよくわからないけどね。
父の代で、前世供養と、先祖供養はかなりやったと思う。
そういう供養を見ながら、結局は、前世で残した「想い」。先祖が残した「想い」をおさめる事なんじゃないかと。
父は力で納得させて魂を上げていた。逆らえない怖いお父さんという感じ。
それを見ていて、霊と話しを聞いて、話し合って、納得させて上がってもらう方法はないのか。と思い始めたの。
で、よくわからないうちにそんな事していると、いろんな目に遭う。それは人間の世界でも同じで、人を説得するのって凄く難しいでしょ。人間力が必要というか。人間力がないのに人の問題に頭突っ込むとかなり面倒なことになるでしょ。で、私にそんな人間力ないし、弱い人なのにそんな事やってみたりして、解決も出来ないし、中途半端に色々乗せてくるし、それで体悪くしたり。
荒行に意味はない、とか言う人がいるけど、そういう時に持っていかれない様に、肉体も、精神も強くあらなくちゃいけない。だから、荒行って、仕事の内容によってはすごく必要だとも思う。
江原さんや、冝保愛子さんを見ていると、すごいなぁと思う。彼らは超スーパーだと思う。彼らはすごくクリアに見えるんだよね。霊とのやり取りも人間的に素晴らしいと思う。「答えてちょーだい」の頃の江原さんのやり方を見ていると、本当に体を張って想いを受け止め、話を聞き、残した想いを汲み、魂を上げてあげる。自分の体に乗せる(番組では憑依させるという言い方をしてる)ってとても危険。そこまでする必要があるのか、とよく思ってたけど、改めて今回、動画を見て回ると、もしかしたら、自分の体に乗せることで、その霊の痛みや想いをより正確に感じ取れるんだと思った。こんな事を普通の人がやったら、体持っていかれる。この人の優しさって半端ないなと思った。冝保愛子さんも半端ない優しさを持ってると思った。
ちなみに、江原さんの番組、天国からの手紙位までは良かったけど、オーラの泉からは面白くない。というか、薄っぺらくなったというか。で、ブームが沸き起こって、私には、つかみどころが解りにくくなった。あの人の、浄霊とかは素晴らしいよ。
私は、彼らのようには、見えないんだよ。時々、ふっとビジョンが降ってきたり、その人(霊)のエネルギーを感じ取ったり。多分、私に伝えたいことがある時に、霊が一生懸命伝えてくる程度の事だと思う。
でもさ、見えない方がいいと思ってる。見えると生き難いと思う。
ただ、感情の事はなんでか、結構クリアに、見えるというか、感じ取る。離れていても、チャンネルを合わせるとすっと感じ取れたりするけど、体を触ると色んな事がわかる。でも、なんでそれが解るのかはわからない。昔はコントロールの仕方が解らなかったけど、今はまぁ、コントロールできてるというか。他人の事にあまり関わらないし、仕事以外では見て見ぬふりというか、見ない様にしてる。結構冷たい。
生きている人も、死んだ人の霊も、似たようなもので、「あ、この人、解ってくれるかも」と思わせて、こちらも何とかしてあげたいとか思ってしまうと、すっとチャンネルが繋がってしまう。だから、必要以上に人に共感したりするより、自分勝手な方が私は楽だったりする。私はそんなに立派な人間じゃないので、お金もらう仕事じゃないとやらない。そんな事が感じ取れたり、出来るからで、人から好かれたり、興味を持たれる必要はない。
「想念」の世界って甘くないと思ってる。
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スピリチュアル系をよく斬ってる私です。
甘い世界じゃないと思うの。
スピリチュアルといっても、いろんな層がある。こういう死者の層とかは波動が低いとかいう人もいる。宇宙がどうとか、愛とか、光とか言っているスピ系の多くは、死者や生きている人の想念の層を馬鹿にしたように言うけど、そこが私たちが生きている所なんだと思う。
宇宙がどうとか、愛とか、光とか言っているスピ系の人たちは、ここをスキップして、宇宙とかに逃げてる気もするの。もしかしたら、そういう人たちの多くが現実が不幸なのかもしれない。
これも、最近、またちょっとそういう系の人の動画とか見てて、すごく偏ってて、視野が狭いという気がした。彼らはたぶん、西欧諸国の一部とか、日本とか、俗にいう先進国の人たちの世界しか見て、体験してないと思うの。言っている事とか、上からというか。自分たちさえ良ければ良いというか。
でもさ、肉体をもって生まれて来ているという事はもっと物理的で、濃度が濃いというか。肉体があるから感じられる、悲しみ、苦しみ、喜び、怒り、楽しみを、体感したり経験して、もしかしたら、魂を成長させるとかなのかもしれない。人間的に成長するというか。それがダイレクトに魂の成長というか。
なんて言いながら、私は全く、未熟です。
でも、ま、それでいいかなと。また生まれ変わるだろうし。無理に良く見せる必要もないし。
で、私が「感情解放」にこだわり続けるのは、先祖供養も、前世供養も、その時代の想いというのは「感情」で、その想いが残っていると、納得させるために、供養が必要になるんだと思うの。
全く、想い残しなく死ぬことは難しいと思う。それでも、今世で自分の感情をある程度整理したりして「解放」しておけば、残す「想い」を減らせるのではないかと。
で、先祖とか前世も整理が必要な人もいるかもしれない。というか、いると思う。ケースによっては複雑だと思う。だけど、私が得意としているのは「今世」の感情。だけど、時々、セッションしてる時(セッションあまりしないけど)とかに、亡くなった方のメッセージとか受け取るよ。そしたら知らせてる。そういう時は、ブルっとしたり、すっきりしたりする。でも、それを信じるか信じないかはその人の自由。私もそれ証明できないしね。
ま、江原さんとか、冝保さんは、かなりスーパーなんだと思うわ。でも、それぞれ、得意分野がある気がする。その分野の違いとかは解りにくいと思う。得意分野が違う人に、違う分野の答えを求めても困ると思う。スピリチュアルといっても、いろんな分野がある。そういうの解らなくて、20年位迷った。
愛とか光とか宇宙とか、高次元とか言っている人たち。そういう層というか分野があるのかもしれないけど、私はよくわからない。そこは私の得意分野じゃない。私の感覚からは、ああいう人たちって人間としての濃度が薄いというか。人間でいたくないのかなぁとか。今世が嫌なのかもしれない。
今世の感情解放は、先祖や前世の供養と向かい合って来て、父がつないだバトンだと感じる時がある。
これからも、欲張らず、今世の感情解放をやっていこうと思う。
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そういえば、江原さんだっけか、冝保さんだったか忘れたけど、最近見てた動画で、亡くなった人への一番の供養は「心配させない」「安心させてあげる事」と。私もそう思う。多分、魂とか霊の事を垣間見てきた人には合点がいくと思う。
引きこもり好きだけど、私が友達といる方が母は安心すると思うから、最近は外出してる。この前は友達と日光に行ったし、先週は突然九州の友達から連絡があり、成田でご飯食べたり。友達がガイドしてる東京の下町観光も行ったよ。アメ横も行ったw。明日は友達と六本木行ってインドカレー食べる。
私なりの母の供養法。お付き合いくださってありがとうね。
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今日の写真には意味はありません。