これを書こうと思いながら、数カ月が過ぎてしまった。
感情の事をやりながら、十中八九感情の問題をこじらせる要因は親や親との関係にあると感じています。
その中で気になるのが、親の希望や要求にこたえようとして、自分を抑え込んだり、殺してきた人たち。コントロール系の親というか。
親のコントロールは凄く巧みだったりする。親もコントロールをして子供を苦しめようなんて思ってもないと思う。だけど、親にもいろんな事情があり、色んな心の問題があり、20代そこそこで私たちを産み、「親」というものを模索しながら、葛藤しながら子育てをしてきたのだとは思う。
親が安心するような「よい子」は、自分を抑えたり、殺すことで親に受け入れられようとする。その殺してきた自分が30代後半から徐々に鬱積したり、自分が何だか分からなくなったり。
こんな私ですが、私の父もコントロール系で、私は父のコントロールのもとに生きて来ていたし、それに疑問も持たなかった。それが、私が生きていた「当たり前」の環境だったから。許せないほどに理不尽な事も何度かあった。
私は30代の頃に、親や家族を恨んだ。とことん憎んだ。
でも、憎めば憎むほど、自分が嫌になる。憎む感情が嫌というより、自分の中に流れる彼らの血が憎くなる。体の中の血を全て入れ替えたい、と思うほど自分ではどうしようもない事に苦しんだ。
5年間、私なりにとことん憎んで出した答えは、親を憎めば憎むほど自分が苦しくなるという事だった。
それで、そういう憎しみを全てのみ込み、和解をすることにした。
それからも、色んなことがあった。
それでも、親は私の「親」として、親であり続けようとしてくれた。そういう事は端々に感じ取ることは出来た。
でも、やっぱり、色んなことがあり、結局家族と縁を切らざるを得なかった。
そこから、私は家族によるコントロールや縛りが全てなくなり、、、風船が飛んでいくような、そんなあやふやさの中で、ニューヨークに行き、その後キューバに行った。そして、キューバに逃げ込んだ。
もし、私が、家族や両親と繋がっていたら、そのコントロール内に居たら、私はキューバになんて行けなかった、年老いた両親が心配するような所には行かなかったと思うし、彼らも私がキューバに行く事を許さなかったかもしれない。日本人にとっては、あり得ない事が次々と起こるキューバで、あの人たちはどんな思いをしたのだろう。
私のブログの読者は知ってると思うけど、色んなことがあった。いろんな目に遭った。必死だった。
でも、その暮らしの中で、それまで生きて来た中では想像もしなかったような出会いや経験があった。
必死だった。
それは言い換えれば、生まれて来た自分の命と体を使って、その時点の私なりに、自分を精いっぱい生きる事だった。
問題が起きたり、大変だったりするたびに、その時の自分に出来る精いっぱいで乗り越える。失敗するし痛い目にも遭うけど、そこからまた何かを学び取る。
新しい経験をするたびに、問題を乗り越えるたびに、「私は生きてる」と感じた。
すると、いろんな経験が出来る自分の人生、私に命を与え、育ててくれた両親に心から感謝をした。
でも、親は、私をコントロール下に置いておきたかった。
自分が解る、理解できる範疇に私を置いておきたかった。
私の人生は、親が望んだものではなかったと思う。
親にとっては、特にコントロール系の父にとっては。
でも、そうやって精一杯生き、いろんな経験が出来た事で、私は生まれて来たことや、育ててくれた両親に心から感謝をした。
不思議なものだと思った。
親が望む人生じゃない。
コントロールする親にとって、自分の理解の範疇の外に子供や、特に娘が行く事は嬉しい事じゃないと思う。
精一杯「自分」を生きる事。
それは、ある意味、コントロールしてきた親、「自分」を殺させてきた親への復讐というか。
でも、その向こうには、親への感謝が起きる。
だから、もし親が憎いなら、彼らの勝手でコントロールされた事が許せないんだったら、こうゆう復讐のやりかたもある。
と、私は思う。
今日の写真は、コヒマルでホセと釣りの朝。ここがヘミングウェイの「老人と海」の舞台ね。
朝の5時ごろ、まだ真っ暗な時に「ショーコ釣りに行くよ」と誘いに来てくれた。ま、何があっても、陽はまた昇る。谷村新司がそう言ってた。